鞆の浦,鞆こども園,片岡孝子の物語り
白壁の建物を横目に石畳の道を歩いていると
カラフルな遊具が見えてくる。すべり台に、ブランコ。
ここは鞆こども園。鞆にある唯一の幼稚園であり、
保育所でもある。
「まあ、入り!」と気さくに声を掛けてくれたのは
主任保育士の片岡孝子さんだった。
「ここは、鞆にもともとあった一つの幼稚園と二つの保育所が
一体化してできた施設なんよ。両方の機能を持っとるん」
「幼稚園の方は、90年の歴史があるんで」
「そんでこの人がな、園長先生」
「私はでしゃばりなんじゃけどな、園長先生は謙虚でなぁ!」
ハキハキと喋る片岡さんの話はとまらない。
その後ろで園長先生がニコニコしながらうなずいている。
園長先生に水を向けると、いやいや私はいいからと後ずさり。
「可笑しいじゃろう? こっちが経営者よ!」
片岡さんが、笑顔で園長先生の背中を押す。
なんだか、いいコンビだ。
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「園内を案内してあげるわ!」と片岡さん。
遠慮する間もなく園内ツアーが始まった。
園長先生はいってらっしゃいと手を振っている。
教室を覗かせてもらいながら、片岡さんの話を聴く。
どうやら今はお昼寝の時間のようだ。
開園から4年たった今、園児の数は約100人。
意外と多いんだな、そんな印象を持った。
鞆に住む子だけでなく、他の町から鞆へ働きに来ている人達の
子どもも預かっているそうだ。
ここが0歳児の部屋で、こっちは1、2歳児の部屋――。
片岡さんは、楽しそうに説明を続ける。
66歳の片岡さんは、鞆生まれの鞆育ち。
40年以上、鞆や福山市内の保育所で働いた後、鞆こども園
の主任になった。
ただ、ずっと地元で過ごしていたわけではない。
片岡さんが鞆に根を下ろすことになった経緯は、
まさに「運命」だった。
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幼い頃、両親が離婚。
育ててくれたのは祖父母だった。
寂しい時もあったが、いつも色々な人が支えてくれた。
「周りの人みんなに、育ててもらったんよ」
そういう生い立ちもあって、保育士になることを決めた。
基本的に保育所は、何らかの理由で家庭での保育が
難しい場合に子どもを預ける場所。
寂しい思いをする子もいる。
かつて自分が支えてもらったように、今度は自分が
そんな子達を支えたいと思ったのだ。
就職先に選んだのは、大阪の保育所だった。
母は離婚後、大阪で働きながら仕送りをしてくれていた。
採用が決まり、これで母と一緒に住めると心を躍らせたその日、
母は突然この世を去った。交通事故だった。
運命の無情さに胸をしめつけられながらも、
片岡さんは大阪で働き始めた。
1年たった頃、またもや訃報が届く。
鞆にいる祖母が急死したというのだ。
まず考えたのは、残された祖父のこと。
とにかく早く帰らなければ――。
片岡さんはすぐに故郷の町へ向かった。
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祖母の葬儀の日。
鞆にいた片岡さんのもとに、
衝撃的なニュースが飛び込んできた。
大阪の地下鉄天神橋筋六丁目駅で、
大規模なガス爆発事故が起こったのだ。
片岡さんは言葉を失った。
事故現場は、通勤で毎日のように使っている駅。
大阪にいたら、片岡さんは
犠牲者の一人になっていたかもしれない。
「葬式のために帰っとったけぇ、生きとるんですよ。
その時、私、生かされとるなぁと思った――」
祖母が守ってくれたのだろうか? 不思議な感覚を胸に、
片岡さんは祖父と住むために生まれ育った鞆の町へ帰ってきた。
縁あって、鞆にある幼稚園と保育所で働いた後、
市内各地の公立保育所に勤務した。
そして今、片岡さんは鞆こども園で働いている。
「子ども達には、鞆ならではの体験をさしてあげたいんよ。
買ってきたタコをみんなで湯がいたり、
サヨリをさばいて、めざしにして干したりしてる」
鞆で過ごす子ども達のために、できるだけのことをしたいと
いう片岡さんの気持ちが、しっかりと伝わってくる。
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「ほら、これ見て!
チョウサイを作ったんよ!」
片岡さんが足を止めて指さす先に、
「鞆こども園」と描かれたチョウサイがあった。
チョウサイとは、秋祭りの山車のことだ。
鞆ではそれぞれの町でチョウサイを持っており、
7年ごとに巡ってくる当番の年に、
その町のチョウサイが登場する。
祭の日、囃子(はやし)役が乗った
山車を引いて町中を練り歩くのだ。
そう、本当なら、チョウサイを引けるのは7年に一度。
「うちらは毎年参加するんよ。
ここに来た子はなぁ、毎年チョウサイに乗れる!」
地域の行事に参加するほか、頼まれれば、色々なイベントに
出るという。園児達が体験していることは、実に多彩だ。
鞆で映画『ウルヴァリン』の撮影があった時、子ども達は
エキストラとして出演。
AKB48の岩佐美咲が『鞆の浦慕情』のCDを出した時は、
鞆こども園がイベントの会場になった。
「えかろう?」と笑う片岡さん。
子ども達だけではなく、先生達も一緒に楽しんでいるようだ。
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調理室を覗き、3~5歳児の教室を見た後、
片岡さんは、白壁の建物に案内してくれた。
「ここは遊戯室。もともと倉として使われてたから、
夏は涼しくて、冬は暖かいんよ」
広い部屋の壁には、園児達の写真がたくさん飾ってある。
遠足にプール、お絵かき、ダンスの練習。
それに、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒の写真もあった。
子ども達は、町内にある介護施設「さくらホーム」に
よく遊びにいくそう。
おじいちゃんやおばあちゃん達が喜ぶのはもちろんのこと、
子ども達も可愛がってもらえて嬉しいのだ。
「子どもは、地域の宝よ」
そう言って明るく笑う片岡さん。
子ども達は、そこにいるだけで町のみんなの心を豊かに
してくれる存在なのである。
そんな子ども達に何ができるかを、
片岡さんはいつも考えている。
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鞆こども園には「2分の1成人式」という
ユニークな行事がある。
成人と言えば20歳。
その半分の10歳になった子ども達、
つまり鞆小学校に通う4年生のみんなを、
5歳の園児達がお祝いする行事だ。
その時、一人ひとりに鞆名物の「保命酒」を用意し、
未来の自分へのメッセージとともにタイムカプセルにして、
園に隣接する園長先生の自宅の倉に保管している。
「20歳になったら、またおいでって言うとるんよ」
成人すれば、お酒が飲める。
大人になり、タイムカプセルを開けて
故郷の地酒を飲む時、彼らは何を思うだろうか。
「こういうことを、楽しみながらやっとるん」
片岡さんは、きっと
みんなが喜ぶ姿を見るのが、楽しいのだろう。
みんなに喜んでほしい――その想いのおかげで、
ここにいる子ども達は、かけがえのない豊かな時間を
過ごすことができている。
片岡さんを鞆に連れ戻した運命の神様は、
こうなることを知っていたに違いない。
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