サンモルト 小川真平さん

この町を元気にしたい!
若き社長の熱い想い

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小川真平さんの物語り

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サンモルト 小川真平さんの物語り

鞆鉄鋼団地の若社長

地元を元気にしている若者に会いにいく

福山駅方面から鞆の浦に向かうと、
県道22号線を辿ることになる。
市街地を抜け、穏やかな海と小さな島々が見えてきたかと思うと、
左手に工場が立ち並ぶエリアが続く。
鞆の風情ある街並みとは対照的な景色だ。
「あれ、昔ながらの港町はどこにあるんだろう?」
と思う人もいるかもしれない。

この地区は「鞆鉄鋼団地」と呼ばれていて、
鉄鋼業などに携わる約70社の中小企業が集まっている。
何十年も、鞆の経済を支えてきた存在だ。

そんな鉄鋼団地の企業のひとつ、「サンモルト」の社長さんが
色々と面白い活動をしていると聞き、会ってみたくなった。

社長の小川真平さんは、
最近話題になっている「とも・潮待ち軽トラ市」の
実行委員長をつとめているそうだ。
軽トラックをブースにして特産品などを販売する朝市で、
毎月第4日曜日に沼名前神社参道で開催されている。
さらに小川さんは、「鞆・福山活性化ブログ」を運営し、
毎日更新しているという。

きっと、地元愛に溢れたエネルギッシュな若社長なのだろう。
そう思いながら小川さんを訪ねた。

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最初は地元のことは
考えていなかった

いきなり継ぐことになった社長業

想像通り、小川さんは爽やかな好青年だった。
柔らかい笑顔の奥に、強い意志があるのが感じられる。
第一印象を告げると、小川さんは
「いやいや、そんなにかっこいいもんじゃないですよ」
と笑う。
「軽トラ市も、鞆を活性化したくて始めたわけじゃなくて、
徐々に意識が変わっていったというか」

エネルギッシュと言われるけれど、
どちらかというと子どもの頃は内向的だったし、
今でこそ、地元を大切に思っているけれど、
自分のことばかり考えていた時期もあったという。
いったい何が、小川さんを変えたのだろう?

小川さんは現在35歳。
LPガスや高圧ガスの販売をしているサンモルトの
社長に就任したのは27歳の時だ。

高校卒業と同時に鞆を出た小川さんは、
福島県の大学に進学。就職先は神奈川県の会社だった。
社会人になって2年半経った頃、父親が急死。
突然、祖父の代から続く会社を継ぐことになったのだ。

小川さんは言う。
「いつかは自分が継ぐんだろうと思っていました。
でも、こんなに早くとは……」

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経営者として
何をすればいい?

長い間、悪戦苦闘が続く

思わぬタイミングで、小川さんの生活は激変した。
当時、「父の死を悲しむ暇もなかった」という。

現職の引継ぎ、地元への引っ越し、サンモルトの業務内容を
学ぶための研修、新社長としての挨拶まわり……。
やるべきことが次々と目の前に積み上げられる。

当時の心境を小川さんに尋ねると、短い沈黙があった。
「正直、なんで自分がこんな目に合うんだろうって、
思ってましたね」
それに、まだまだ遊ぶつもりでしたし、と笑う。

先代の社長である父は、経営者が現場にいなくても仕事
が回る状態にしていたので、世代交代の混乱は少なかった。
ただ、それが後々、自分を苦しめることになった。

最初は社員と一緒に現場へ行く日々が続いたが、
結局それは社長の仕事ではない。
今、自分がやっているのは経営者の仕事ではないと
わかっているが、社長として何をすればいいのかわからない。
何かしないと……。自分の代で会社を潰したくはない。

「そうやって悩む一方で、人に弱みを見せるのが嫌で、
人からどう見られているかをすごく気にしてたんですよ」
と小川さん。

過去の自分をここまで客観視できるということは、
大きな意識の転換があったのだろう。

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転機となった
仲間の一言

やがて見えてきたものとは?

自分を見直す大きなきっかけとなったのは、
経営知識を得るために所属していた
中小企業家同友会のメンバーの一言だった。

「お前そのままだったらやばいよ。何にも考えてないじゃん」

きつい言葉が心に突き刺さった。
何も考えてなかったわけじゃない。でも、今までの自分は、
「自分のこと」しか考えていなかったことに気づいた。

その後は、空回りをすることがあっても、
今、自分が会社のためにできることに全力で取り組んだ。

もちろん、不安や悩みが完全に払拭されたわけではない。
それでも、良いと思うことはとにかく行動に移した。
社員と向き合い、自分の想いを言葉にし続けた。

軽トラ市も、そのアクションのひとつ。
当初は、会社でイベントを企画したいという想いがきっかけだった。
同じ鉄鋼団地のオーザックさんを中心に市内の企業と協力し、
小川さんが実行委員長となって
鉄鋼団地内の駐車場で軽トラ市を開催したのだ。

せっかく始めたのだから、続けたい。
どうすれば、継続できるだろうか?
……そもそも軽トラ市の意義ってなんだろう?

頭を悩ませるうちに見えてきたのが、「地元のために」
というキーワードだった。

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地域のために
自分ができること

地域が元気なら地元企業も元気に

小川さんは、鞆に住む顧客から届いたという封書やハガキを見せてくれた。
どれにも社員の丁寧な仕事に対するお礼の言葉が並んでいる。

「こういうメッセージを頂いた時、
うちの仕事って地元の人のためにあるんだと思いました。
会社が66年も続いているのは、地域に支えられているから。
地域が元気じゃないと、そもそもだめじゃないかと思ったんです」

地域を元気にしたいから、軽トラ市を始めたわけではなく、
それを続けようとした時に、会社にとって地域がいかに
大切かということに気がついたのだそうだ。
「普通、逆ですよね」
と小川さんは笑顔で言った。

小川さんは「地域のために、自分ができることをしよう!」
と決意して活動を継続。
そして、2013年から軽トラ市の会場は鞆の鎮守社である
沼名前神社の参道となった。

現在、出店数は16~20店舗で、軽トラやワゴンの荷台で
売られているのは、新鮮な野菜や魚、ハチミツ、豆腐、
らっきょう、カレーなど。
お客さんは鞆の人が多く、夏場は600人近くの人が
来るようになったそうだ。

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思いついたら
まず行動する!

伝えたいことを発信する

軽トラ市の運営は、小川さんにさらなる変化をもたらした。

「軽トラ市の実行委員長をやっていると言うと、鞆のこと
なら何でも知ってるんじゃないかと思われるんです。
でも、実際は知らない。それで調べてみたら、鞆ってこんなに
長い歴史があるんだ、すごい!と思いましたね」

こんなにすごいことなのに、
鞆育ちの自分でさえ知らなかった。
すごいものを持っていても、「発信」しなければ意味がない。
早速ブログで、鞆や福山のことを発信し始めた。
その行動力は流石だ。

同時に小川さんは、疑問を抱く。
「どうして、地元の歴史が教えられていないんだろう?
これって、自分の土台となるものが教えられていないってことなんじゃないか?」

土台がなければ、自分の地元にも
ひいていえば自分自身にも誇りを持てない。
地元の素晴らしさをきちんと教えられれば、
人は誇りを持てるようになるのではないか――。
そういった小川さんの想いは「鞆・福山活性化ブログ」に反映されている。
ブログの記事は、目を見張るほど内容が濃い。

このほか、小川さんは子どもたちに対しても
「発信」をしている。子どもたちに火の大切さを教える
「火育マイスター」という資格を取得し、2015年の夏には、
鞆小学校で初めて火育体験プログラムを実施した。

火の歴史を学び、古代の火おこし体験をした子どもたち。
小川さんは、彼らの「楽しかった!」という言葉が、
何よりも嬉しかったそうだ。

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大切なものを
受け継いでいく

行動を起こしたからこそ、わかったこと

子どもたちに伝えるべきことはたくさんある。

「今後は火育に加えて、地元の歴史なども教えたいんです」

それによって子どもたちが地元に誇りを持つようになり、
将来的にはこの町で働きたいと思うようになってくれれば
嬉しい、と小川さんは話してくれた。

もうひとつ、印象的な話があった。
小川さんは、悩みながらも行動し続けるなかで意識が変わり、
地元の大切さが分かってきたのだが、それと同時に
祖父や父親から受け継いだものを実感するようになったという。
「自分は『つなぎ』なんだと思いました」

自分は色々なものを与えられてきた。それを引き継いで、
次の世代につなげていくという役割がある。
そのために今、自分ができることをしたい――。
そんなふうに思うようになったそうだ。

今、小川さんは2児の父。結婚して子どもが生まれたことも、
意識が変わったきっかけのひとつなのだろう。

鞆に戻り、社長になってから1~2年は、
自分のことばかり考えていたという小川さん。
「自分」という小さな枠の中に閉じ込められていた意識が、
家族、会社、そして地域へと徐々に広がっていく過程で、
人としての魅力に磨きがかかったのではないだろうか。

今、小川さんは、まぶしいほどに輝いている。
そして、道はまだまだ続く。
今後、その輝きはさらに増していくことになるだろう。

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  • Text : 豊原美奈
  • Photograph : Nipponia Nippon

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