TAU GRAPHIC / gallery shop MASUYA 江竜義政・陽子さん

移住してからわかる、
鞆のホントの面白さ

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江竜義政・陽子さんの物語り

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福山という共通点。
大阪で出会った2人

福山生まれの陽子さんと、
福山の大学を出た義政さん

鞆に来る以前は、大阪で生活していたという江竜夫妻。
2人のそもそもの出会いを聞いてみると、
「行きつけの飲み屋のマスターが、
“福山つながり”ということで紹介してくれたんです」
と義政さんが笑う。

福山市出身の陽子さんは、
20歳のときに大阪のデザイン専門学校へ行き、卒業後、
そのまま大阪でグラフィックデザイナーとしてキャリアをスタート。

一方、神戸出身の義政さんは、
福山大学へ進学して福山で4年間生活したのちに
福山市内の印刷会社へ就職。
その会社の大阪事務所に勤務していたという。

「知り合って3年くらいはただの飲み友達。
でもデザイナーと印刷屋なので仕事の相談をしたりしながら、
そのうちモノづくりを2人で企画するようになったんです」
と陽子さんが教えてくれた。

そんなふうに意気投合した2人は、
関西で行われる「手作り市」などを中心に、
自分たちで考えたグッズを販売するように。
自然と一緒に過ごす時間が増え、次第に距離も縮まっていったという。

そんな2人のモノづくりは、結婚後も変わることなく続き、
「福山ばら祭」でもグッズの販売をしていたのだとか。

活動を通じて人脈も広がる中、やがて2人のところへ、
鞆の浦の「桝屋清右衛門宅」の運営を
引き継いでほしいという話が舞い込んでくる。

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引き受けるべきか、
思案していると…?

考えていなかった
鞆の浦への移住

「桝屋の話を最初いただいたとき、実は悩みに悩みました。
僕たちが思っていた理想とは少し条件が違っていて…」

そう言って、義政さんは当時のことを振り返ってくれた。

大阪でグラフィックデザイナーとして独立していた陽子さんも、
将来ショップをしたいと考えていた義政さんも、
自宅と事務所とお店が、全部同じ場所にある環境を理想としていた。
そのため、桝屋を引き継ぐというお話は、
「せっかくだけど難しいかもなぁ」という思いで受け止めていたという。

「それで一度、オーナーさんに会うことになって、
そこで自分たちの思いを伝えようと思っていたら…。
お会いする日の3日前に、子どもを授かったことがわかったんです」

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お腹の赤ちゃんに、
背中を押されて

移住のタイミングは、
まさに今だと思った

「あれだけ迷っていたのに、
3日前に自分たちの気持ちが固まって、
オーナーさんに会いに行きました。
そしたら、すごくいい方で、『やります!』と(笑)。
まるで最初からそのつもりだったみたいに答えていましたね」
そう話す陽子さんのあとに、

「移住するのはタイミングが大事だって、
ずっと僕も言っていたので、桝屋のお話と妊娠が重なるって、
まさにそのタイミングだ!って、思えたんです」
と義政さんが続ける。

「妊娠してなかったら、決断できなかった気がする。
今思い返しても、本当に不思議」
そう2人は、口を揃える。

もともと子育てをするなら、
大阪よりも田舎がいいと話していた2人は、
実際に子どもを授かってから、急展開で移住へと踏み切った。

今では義政さんが「桝屋清右衛門宅」でショップを経営、
陽子さんは、自宅兼事務所で大阪時代から途絶えることなく
グラフィックデザインの仕事をしている。
そして、移住のきっかけをつくった赤ちゃんは、
移住してわずか1カ月後に産声を上げ、
今もすくすくと育っている。

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孤独にならないで、
子育てができる町

鞆の人たちみんなが、
娘を可愛がってくれる

鞆の浦で子育てをすることについて、
陽子さんに尋ねてみると、

「平日は、家の近くにある鞆こども園に預けています。
最初の頃は、園にしょっちゅう顔を出して、
母乳をあげに通っていましたね(笑)。
思うのは、この子は、鞆の町全体が育ててくれているなぁって。
この前も沖辰商店に買い物に行ったら、
お店のお客さんたちが5、6人で娘をあやしてくれて、
その間に買い物をさせてもらったし、
青空市場へ行ったときも、店主のおじいさんが娘を抱いて、
なぜか私が店主の代わりに商品の袋入れを手伝うことも(笑)。
とにかく、いろんな人たちが、自然と娘の相手をしてくれるんです」

陽子さんの話に出てくるのは、
鞆の浦のリアルスポットと地元の人たちとのふれあい。

そしてもうひとつ、陽子さんは意外な“行きつけ”を教えてくれた。

「暇なときは、さくらホームによく行きますね」

さくらホームとは、鞆の福祉を支える、言わば高齢者のための施設。
おじいさんとおばあさんが集まるこの場所に、
ひょいと顔を出すのだとか。

「そこのおじいさん、おばあさんたちが、
娘の遊び相手になってくれるんですよ。
みんなにいじくり回されて(笑)、帰る頃には程よく疲れているんです。
家に着いたらスッとお昼寝してくれて、すごく助かっているんですよ」

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勝手に家の玄関に、
野菜を置いて帰る人

日常に色濃く残る、
人と人とのつながり

陽子さんの子育ては、ご近所の人たちとの
温かい交流に助けられている部分も大きい。

しかし、その“交流”を、ときに意外すぎるカタチで
目の当たりにすることもあるようで…。

「移住して一番驚いたのは、
家に帰ったら玄関に大根がドーンって置いてあったこと!
最初は誰がくれたのか全然見当がつかなくて、
数日後にわかったりするんです。
えっ? あそこのじいさんが僕たちに!?って(笑)。
こんなコミュニケーションもあるんだと、2人で大笑いしましたね。
あと、なんだかすごく嬉しくなりました。
新入りの僕たちにもフラットに、そして豪快に接してくれる人がいて」

そう義政さんが言うと、陽子さんも頷きながらこう付け加える。

「鞆の浦は、人と人との距離感が近い感じがしますね。
みんな家族みたいな感覚というか。
そのぶんやっぱり、移住に合う人・合わない人というのは、
どうしても出てくると思いますね」

人と関わることが好きで、コミュニケーションを楽しめる人は、
きっと鞆の浦の暮らしも気に入るはず。そう2人は教えてくれた。

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鞆の浦への移住を、
喜んでくれる人たち

打ち合わせついでに、
観光して帰るクライアント

移住してからしばらくは、出産と育児のため
デザインの仕事をセーブしていた陽子さん。

「最近、また少しずつ仕事を受けるようになってきたんですが、
大阪にいた頃より不便だと感じることは少ないですね。
もともとスカイプやメールのやりとりで進めることもありますし。
新規で大阪の仕事を増やすには、
意識的に動かないと難しいかもしれないですが、
大阪時代からつながりのあるお客さんは、
引き続きオファーをくださっているので、
あまり変わらずに仕事ができていると思います」

それでも、打ち合わせで関西方面に行くこともあるなど
動き方は多少変わってきたのだとか。

「やっぱり直接会って話を聞くのは大事ですからね。
でも、ひとつラッキーだと思うのは、
移住先が観光地だったことですね。
仕事仲間やクライアントが、打ち合わせと観光を兼ねて、
わざわざ来てくれることも多いんです。
鞆の魅力にハマった方もいて、プライベートでやって来て、
桝屋に立ち寄ってくれることもあって(笑)」

移住をきっかけに仕事を変える人は少なくない。
そんな中、自分が積み重ねてきたキャリアを発揮し、
新天地でも同じ仕事ができている陽子さんは、
それが、本当にありがたいと話してくれた。

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観光客だけでなく、
地元の人たちにも

地元の人が集まって、
夜の桝屋で盛り上がる

義政さんが常駐する「桝屋清右衛門宅」は、
坂本龍馬が幕末に宿泊したという記録が残る
鞆の浦の観光スポットのひとつ。入場料を払えば
その当時のままの屋敷を見学できるほか、
併設するギャラリーでは、江竜夫妻がセレクトした雑貨をはじめ、
自分たちで企画・デザインした商品を販売している。

そんな桝屋で、最近試してみたことがあったという義政さん。

「3月に行われる“鞆の町並みひな祭り”の時期に、
夜の観光客のためにと思って、
毎週土曜日の夜を開けてみたんです。
ショップスペースの一部を使って、ストーブの周りに椅子を並べて、
粕汁やホットレモンやハーブティーといった
温かい飲み物を用意していたんですけど、
意外にもご近所の人たちが来てくれて、
飲み物を片手に談笑を始めて…(笑)。
祭りの寄り合いじゃないですけど、皆さん、どこかに集まって
談笑するのが大好きなんですよ。想像以上に盛り上がりましたね。

自分はスタッフ側なんだけど、思い切って混ざってみると、
とっても気さくに迎え入れてくれて。実は普段は観光スポットだから、
興味はあったけど地元住民としては遠慮して入れなかった
ということがわかったりするんです」

自分たちの感覚で、何かアクションを起こす。
するとダイレクトに反響がある。
それがすごく面白くてやる気がわいてくるのだと、
義政さんは話してくれた。

「地元の人たちの生の声を聞くと、
桝屋は観光客だけでなく、地元の人たちにも愛されるような、
もっと“開かれた場所”になってもいいんじゃないかって、
思うんですよね」

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鞆の中で生まれる、
地元の活気を信じて

当事者意識を持って
鞆に活気をつくれたら

今後について話を聞くと、
「まだ鞆に来たばかりで、ほんの一部しか知らない身なんですが、
それでもやりたいことが実はあれこれとあって、
今はコツコツ準備しているところなんです」
と、目を輝かせる2人。

まず、義政さんが準備中なのは、活版印刷を使ったサービス。
(活版印刷とは、古くからある印刷技術で
最近ではなくなりつつあるサービス。
手間がかかる一方で、そのアナログな手法と
味のある仕上がりに惹かれる人たちも多い)

「活版印刷は、大阪時代から温めていた企画。もともと印刷が好きだし、
自分たちでデザインしたものを活版印刷でつくれたら楽しいだろうなと。
趣味の延長のようなつもりで、気負わずカタチにしていきたいですね」

一方、陽子さんが構想を練っているのは、地域密着型のフリーペーパー。

「観光向けのものは、すでにいろいろあったりするので、
鞆で暮らす人たち向けのフリーペーパーをやりたいと思っています。
移住者ならではの、いい意味での“よそもの視点”も大事にしながら、
地元の人が楽しめるもの、自分が使って楽しめるものをつくりたいですね。
自分たちが生きていく場所、娘がこれから大きくなる町でもあるので、
当事者意識みたいなものも大事にしながら模索していきたいと思います」

あくまでも自然体に今後を見据える江竜夫妻。
そこには、我が子を見つめるように、自分たちの住む町を見つめる
温かいまなざしがあるような気がした。

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よそ者にならずに、
暮らしていける場所

いつの間にかこの町に、
受け入れてもらっていた

すっかり2人と話し込んだ後、外へ出ると
“Tomonoura Blue”とも称される、青く美しい空が迎えてくれた。
(鞆の浦では赤い夕焼けは滅多に見られない代わりに、
幻想的な青い夕暮れになることが多いらしい)

少しの間、桝屋の外観を写真に撮っていると、
自転車に乗ったおばちゃんが江竜夫妻に声をかけてきた。

「何しとるん? 今日の夜も開けてくれるん?」
「いや、ごめん。今日は開けてないんよ」
「あら、そうなん。また開けてな」

この一瞬の、何気ないやりとりが、
鞆の浦の人たちに江竜さんたちが
受け入れられていることを物語っていた。

これから新しく鞆の浦に暮らそうと思っている人は、
まずこの町をぐるりと散策してから、桝屋に行ってみるといい。
龍馬が泊まった隠れ家を見て、洗練された雑貨をお土産に選んだあとは、
鞆に来てもうすぐ2年になる“移住の先輩”と話をしてみるのも、
有意義な時間になるかもしれない。

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  • Text : たけだみちお
  • Photograph : 小野克己

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