公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」代表 大住力さん

鞆の浦の町並みと人情が
難病と向き合う家族を癒す

公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」
代表 大住力さんの物語り

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公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」代表 大住力さんの物語り

難病の子ども達を
旅行に招待する

鞆の浦を旅先に選んだ理由とは?

今日は仙酔島に向かっている。
仙酔島へは、鞆の浦にある「渡船場」から船で約5分。
島内には海水浴場や国民宿舎、温泉などがあり、のんびりと
瀬戸内の景色を楽しめる場所だ。

仙酔島で、大住力さんに会うことになっている。

大住さんは福山市出身。
約20年間、東京ディズニーランドを管理・運営する
株式会社オリエンタルランドで働いてきた人だ。
多くの人が憧れる職場だろう。しかし大住さんは、
40歳の時に「自分が本当に一生かけて取り組みたい」と思う
仕事に巡りあい、退職を決意する。
そして、2010年に
公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」
を設立した。

大住さんの団体では、難病の子どもとその家族を2泊3日の
旅行に招待する「ウィッシュ・バケーション」という活動を
行っている。

ウィッシュ・バケーションで訪れる場所は、
東京ディズニーランドなどのテーマパークや
沖縄などのリゾート地。
いかにも子どもが喜びそうな場所だが、
なんと、ここ鞆の浦もウィッシュ・バケーションで家族が
訪れる場所になっているというのだ。

鞆の浦はリゾート地でもないし、テーマパークもない。
なぜ大住さんは、鞆を招待先に選んだのだろうか?

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子どもだけでなく
両親も元気にしたい

難病に向き合う両親を支えるために

仙酔島の浜辺に、大住さんの姿を見つけた。
ウィッシュ・バケーションの参加者達と談笑している。
大住さんは大きな口を開けて笑い、低く深い声で
ゆったりと話す。
そして、子ども達が波打ち際で走りまわる姿を
愛おしそうに見つめていた。

石段に座って海を眺めながら大住さんと話した。
ウィッシュ・バケーションに招待した家族は
もう150家族以上になるそうだ。
そのうち4家族を鞆の浦に招待したのだという。
私は、気になっていたことを大住さんに質問してみた。

どうして、鞆の浦でウィッシュ・バケーションをしようと
思ったんですか?

「福山が僕の生まれ故郷っていうこともあるんですけどね。
僕らはね、まず難病の子どもに頑張ってほしいっていう
気持ちがある。
だけど、やっぱり父ちゃん母ちゃんも
大変な思いをしてるんですよ。
彼らが元気じゃないとね、治るものも治らなかったりするし」

看病に明け暮れ、難病と共に生きて行かざるを得ない家族の
苦しみを間近で見てきて、
大住さんは「父ちゃん母ちゃん」にも
元気になってもらわなければいけないと強く感じたそうだ。
そして、彼らを元気にする上で大切なものが、
ここ、鞆の浦にあるのだという。

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鞆の浦の魅力は
懐かしさと安心感

地元の人との触れ合いが家族を癒す

大住さんは、ウィッシュ・バケーションの失敗談を話してくれた。

「初めの頃は、至れり尽くせりの旅を用意したんですよ。
ディズニーランドに行って、料亭で食事して…。
でも詰め込み過ぎて、母ちゃんが疲れ切ってウトウト寝てたり
したんですよ。それで、あぁ、やっちゃった!って。
自己満足になってたって思いました。それからは、もっと
ゆっくりできるようなスタイルにしたんです」

そして、家族みんなが喜ぶこととは何だろうと考えた。
それは、ただディズニーランドのようなテーマパークに行く
ことだけではないはずだ。

大住さんは浜辺を指さしていった。
「今、あそこのレジャーシートの上で母ちゃんがハンドマッサージ
をしてもらってるでしょう?それできっと他愛のない話をしてる。
でも、そういうことをめちゃめちゃ喜んでくれるんですよ。
社会の人との触れ合いが大事なんですよね」

鞆の浦は、そういうことが自然にできる町なのだと大住さんは言う。

「鞆は普通に地元の人から『こんにちは!』って言ってもらえる町。
今の社会ではあんまりないことです。それと誰もが郷愁、懐かしさを
感じる町並みですよね。人間って懐かしいなぁ~って思うと安心する
んですよ。心地よさを感じるわけです」

鞆に来れば、家族は安心感に包まれて社会の人と触れ合えること
ができる、と大住さんは考えたのだ。

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家族にとっては
当たり前のことが嬉しい

鞆の人の優しさが心をほぐしてくれる

大住さんは福山生まれだが、12歳の時に東京へ引っ越した。
Facebookで小学校の同級生とつながって、
36年ぶりに福山を訪れた時、鞆の浦に来る機会があり、
この町の魅力を目の当たりにした。

「それで、ウィッシュ・バケーションの行先として鞆の浦を
提案したんですけど、スタッフからは
『えっ何で?なにもないんでしょ?』って言われました」
大住さんは笑いながら言った。

「それでも、昨年初めて鞆でウィッシュ・バケーションをやらせて
いただいて、鞆の花火大会の日に、地元の人と一緒に過ごさせて
もらったんです。そしたら、ある父ちゃんが泣きながら僕の所に
ビールを持ってきてくれてね…」

大住さんが予期した通り、訪れた家族は鞆の人達との触れ合いを
楽しみ、この町ならではの安心感を味わってくれたのだ。
「ものすごく嬉しかった」と大住さんは言う。

「昨日は、鞆こども園にお邪魔したんです。園児達がお抹茶
をたててくれて。それに、招待した家族の似顔絵を描いて
くれてました。そしたら母ちゃんの1人が大泣きするんです。
後で聞いたら『私達みたいな家族を迎えてくれたことが嬉しかった』
って言うんですよ」

人が本当に喜ぶのって、当たり前のことをしてもらうってことなん
じゃないかなぁと、大住さんはつぶやくように言った。

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シンプルなことが
人を幸せにする

難病と向き合う家族が教えてくれること

浜辺で遊ぶ子ども達を見つめながら、大住さんは言う。
「あそこで遊んでる子はね、障がいを持ってるんですよ。
でも一緒に遊んでると、そんなこと分からないでしょ。
普通に一緒に過ごせるわけです。僕はそういうことを感じるの
が大事だと思ってます」

障がいを持つ子ども達は普通に遊んでもらうことが嬉しい。
家族は当たり前のことをしてもらえるのが嬉しい。
周りの人はシンプルなことをすればいいだけなのだ。
ウィッシュ・バケーションで家族をお世話するスタッフは
そのことを現場で実感する。

大住さんは、家族に付き添う仕事を企業の研修プログラムに
している。つまり企業が人材育成の一環として社員を
ウィッシュ・バケーションに参加させているのだ。
家族と一緒に過ごすことで、参加者が学ぶことは限りなくある。

その中の一つが
「本当にシンプルなこと・当たり前のことが、お互いを幸せにする」
ということなのだろう。

同じことを、『GIVEN~いま、ここ、にある しあわせ~』という
映画を観ることで、実感できる。
これは、大住さんが制作したドキュメンタリー映画だ。
難病の子どもを持つ3組の家族の姿を描いている。

「映画はすごく喜んでいただいています」と大住さん。
地元福山市をはじめ全国で公開され、学校の授業やイベントなどで
自主上映も行われているそうだ。

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今後は鞆の浦に
拠点を持ちたい

家族が癒され、再訪もできる場所

大住さんは、難病の子ども達とその家族がのんびり過ごせる
施設を鞆の浦につくりたいと思っている

「いつでも家族が来られるような拠点を鞆に置きたいんです。
そこで家族がリラックスしながら過ごせるような場所です」

息子や娘を亡くすことになった家族も再訪できる
施設にしたいと大住さんは言う。

「やっぱりね、特に母ちゃんのなかには亡くなってもその子が
いるんですよ。ずっとそこにいるんです。
だから子どもを見送った母ちゃん達にも来てもらいたい。
『あの時みんなでここへ来たねぇ』って話しながら過ごして
欲しいんです」

逝ってしまった子どもはずっと親の心の中にいる。
亡くなった子どもと静かに向き合えるような場所を
つくりたいのだそうだ。

「鞆の浦はそういうことをするのにぴったりな場所なんですよ。
その施設はうちのボランティアスタッフが運営するんじゃ
なくて、地域の方が働く場所になるのが一番いいと思います。
地元の人が迎え入れてくれて、地元のものを食べて、地元の話を
するっていうのが、いいですよね」

全国にそういう施設をつくっていきたい、と
大住さんは話してくれた。

鞆の浦を訪れる家族にとっては、町の人に笑顔で迎えられることや、
ちょっとしたおもてなし、何てことはない思いやりの言葉が
嬉しい。

それは鞆の人にとっては、当たり前のことだ。
そんな小さなことが、実は町自体の魅力になっていることを
大住さんに教えてもらった気がした。

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  • Text : 豊原みな
  • Photograph : Nipponia Nippon

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