顕政寺 鈴木省我さん

自分を見つめ直すことが
できる癒しのお寺

顕政寺
鈴木省我さんの物語り

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顕政寺 鈴木省我さんの物語り

修行を体験できる
開かれた寺院

迎えるのは福々しい笑顔の副住職

鞆の浦の「寺町通り」に建つ日蓮宗のお寺、
壽福山顕政寺(じゅふくざんけんしょうじ)。

その顕政寺で「観心行」という修行を体験できると、噂で聞いた。
いったいどんなものなのだろう?

薄曇りの日の午後、顕政寺を訪れてみた。
いきなり訪問して観心行を体験できるのだろうか……。
そう思いながら山門をくぐり、境内に足を踏み入れる。

本堂をのぞいてみると、「こんにちは」と声を掛けられた。
副住職の鈴木省我さんだった。
突然の訪問者に驚くことなく、静かな笑みを浮かべている。
観心行に興味があることを伝えると、本堂に招き入れてくれた。

「観心行は、日蓮宗の修行なんですけど、
うちでは私がオリジナルで作ったものをやっているんですよ。
特に宣伝もしていないので、
口コミで知った人だけが時々来られるんです」
と鈴木さんはにこやかに話す。

観心行は、文字通り「心を観る行」。
日常の中で自分が行なった良いことや悪いことを思い出して、
それらを見つめ直し、手放していく修行だそうだ。
修行といっても10分程度のシンプルなもので、
誰にでもできるらしい。

たまたま出先から戻ったところだという鈴木さん。
今ちょうど時間があるということで、観心行を体験させて
もらえることになった。

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顕政寺 鈴木省我さんの物語り

題目を唱えながら
心を見つめる観心行

だんだんと心が癒される不思議な時間

「では、はじめましょう。どうぞ、仏様の前に座ってください」

私が本尊の前に置かれている椅子に座ると、
鈴木さんは後ろにある登高座に腰を下ろした。

リーン、リーンと印金の音が響き、お経が始まった。
力強く、それでいて柔らかいお経の声に包まれる。
心地の良い時間だ。

しばらくお経を唱えた後、鈴木さんがゆっくりと説明する。

「それでは、目を閉じて合掌をしてください。
これから私が太鼓を叩きますので、それに合わせて私と一緒に
南無妙法蓮華経とお唱えください。
お唱えをしながら自分の心の中を見つめていただきます。
様々な日々の出来事を思い出してみてください。
あれは悪いことをしたなぁ、
こんな良いことがあったなぁと思い出しながら、
お題目をお唱えください。そうすることで自分自身がきれいに
なっていくことを感じてください」

良い出来事は改めて感謝し、悪い出来事は反省する。
そして、それらに固執することなく、手放していく。
これは心に溜まった垢を洗い流すということ。
心がきれいになれば、また新しいものが入ってくる。

最後にまた、リーン、リーンと印金が鳴らされ、
観心行は終わった。

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自分を見つめ直す
ことができる場所

誰もが気軽に立ち寄れるお寺にしたい

なんだか気持ちがスッキリしました、と伝えると、
鈴木さんは笑顔でうなずく。

「ここに来てくださった方に、
このお寺ならではの体験をしていただきたくて、
最近この観心行を始めたんです。
最初はスペイン人の旅行者の方に体験してもらったんですよ。
自分の心を見つめてもらう修行なので、
宗派はあまり関係ありません。
形式も決まったものではないですし、
来られる方によって変えていこうかなぁと思っています」

信仰の形にこだわりすぎなくていい。
それよりも、この寺を開かれた場所にしたい。
訪れた人が自分を見つめることができる場になると嬉しい。
鈴木さんはそう語ってくれた。

鈴木さんと話しながらふと境内に目をやると、
一匹の猫が通り過ぎた。

「うちは昔から、野良猫が来るんです。
糞をするから嫌がる人もいますが、
うちは決まった場所で糞をさせるようしつけたんです。
そうすると、そこを掃除すればいいだけだから
追い出す必要はないでしょう。野良猫と共存できるんですよ。
そういうことをしていると猫もなついてくれてね」

そう話しているうちに、また別の猫が顔を出した。
顕政寺の境内は、猫たちの憩いの場となっているらしい。

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庭を彩る草木の緑
雑草も大切にしたい

転機を迎え、ものの見方が変わった

境内を眺めている私に、鈴木さんが言った。
「うちの庭には雑草が多いでしょう。
これね、あえて生やしてるんです」

そういえば、庭木の周りにはたくさんの雑草が生えている。

「以前は、雑草は全部むしっていたんですけどね、
最近、あることをきっかけに考えが変わってきて……。
実は、自分にとって転機になる出来事がありましてね。
まぁ全部話すと長い話になりますので簡単に言うと、
挫折を経験したんです」

それは鈴木さんにとって、大きな出来事だった。
自信を失い、僧侶を辞めてしまおうかと思ったほど。
落ち込んで自分を責め続け、
なかなかそこから抜け出せなかった。
そんな時、庭の草花を見ていると、
だんだんと心がほぐれていったのだ。そして、ふと思った。
雑草をむしるのは、本当にいいことなのだろうか?
落ち込んでいる自分を癒してくれたし、光合成をして酸素まで
作ってくれている存在なのに。
根から抜いて命を絶つのではなく、生えるがままにして、
伸び過ぎたら刈ればいいのではないか?

「それで、最近は雑草をむしっていないんですよ。
自然が自然に生きてくれる庭を作ってみようかな、と思って」

そう言って微笑む鈴木さんは、
大きな挫折を経験して間もない人とは思えない、
落ち着いた雰囲気をかもし出していた。

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挫折こそ糧になる
人生に無駄はない

経験者だからこそ説得力のある言葉

挫折してしばらく落ち込んだけれど、
今はスッキリしている、と鈴木さんは言う。

「中国の故事に『塞翁が馬』という言葉があるんですね。
これは良い出来事が不幸につながることもあれば、
辛い出来事が幸福につながることもある、
ということを伝えています。
私は大学院で東洋哲学を学んだんですが、
こういうことは実際に経験してこそ得るものがありますね」

鈴木さんは、大きな挫折を経験したからこそ、
型にはまった考え方を手放すことができた。
そして、「人に優しくしたい」「人を責めるのはやめよう」
という気持ちが自然と生まれてきたそうだ。

「今は失敗した自分を責める気持ちがなくなり、
迷いがなくなったという感じです」

鈴木さんは、現在40歳。
まさに孔子が『論語』に書いている「四十にして惑わず」だ。

「お寺に相談に来られる方も、
自分自身を責めてしまっている方が多いんです。
でも、最終的には起こってしまったことを受け入れるしかない。
ものの見方は自分で決められる。自分を救うのは自分です」

鈴木さん自身が経験したことだからこそ、
確信をもって言えることだろう。

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気軽に立ち寄れて
また来たくなる場所

知る人ぞ知る鞆の浦の「癒し寺」

多くの人が悩みを抱え、自分を責めてしまっている。
そんな人達の手助けになれば……。
そう考えて、鈴木さんは訪れる人に
観心行を体験してもらっているのだろう。

鈴木さんは、他にも様々な活動を行なっている。
今は、災害時に支援活動ができる組織づくりに力を入れているそうだ。

「熊本地震の被災地へ復興支援に行って、
現地で活動している支援団体の方にお話しを聞いたりしています。
将来、南海トラフ地震が起こったら、
鞆の浦にも想定以上の被害があるかもしれませんしね。
みんなで協力し合って、災害時に即対応できる
組織を作っておかなければならないと思っています」

最近はどんどん忙しくなってきている、という鈴木さん。
でもまったく苦にならないんですよ、と笑った。
きっと充実した毎日を過ごしているのだろう。

いつの間にか、あたりが暗くなっている。
境内には、色とりどりの明かりが灯っていた。

山門に向かって光の中を歩いていると、
来た時よりも心が落ち着いていることに気づく。
観心行のおかげだろうか?

あるべき姿にとらわれず、前を向いて生きている鈴木さんと
一緒に過ごしたからかもしれない。

振り向くと、鈴木さんが本堂の前で手を振ってくれた。

また近いうちに、ふらりと訪れたい。
顕政寺はそんな気持ちになるお寺だった。

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  • Text : 豊原みな
  • Photograph : Nipponia Nippon

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