鞆の浦まちづくり塾塾生 新利恵さん

これからの介護を学びたい
想いが実現したまちづくり塾

鞆の浦
まちづくり塾塾生
新利恵さんの物語り

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鞆の浦まちづくり塾塾生 新利恵さんの物語り

まちづくり塾の
中心的存在

「先生」が塾に参加した理由とは?

「新さんは、まちづくり塾第1期生のエースなんですよ」
鞆の浦まちづくり塾実行委員会の人が、そう教えてくれた。

まちづくり塾が開講したのは7月。
約2カ月間、塾生たちは様々なプログラムに参加し、
今日から3日間かけて行われる秋祭りが終われば、
もう修了式を残すのみだそうだ。

高校で英語教師をしていたという新利恵さんは、
塾生の中でも中心的な存在だそう。

新さんに入塾の経緯を聞いてみると……。
「私はね、まちづくり塾に参加するために退職したんです!」

ええっ! 本当に!? 
驚く私を見て、新さんはいたずらっぽく笑った。
どうやら冗談のようだが、タイミングとしては、
そう言っても過言ではないとのこと。

5月に退職し、6月の新聞でまちづくり塾の記事を見て
すぐに実行委員会に電話をかけたそうだ。
その後、入塾に至るまでの紆余曲折を熱く語ってくれた。
エネルギー全開で話し続ける様子は、
まさに頼もしい「先生」だ。

新さんは、どうしてもまちづくり塾に参加したかったのだという。
何がそこまで彼女を惹きつけたのだろう?

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鞆の浦まちづくり塾塾生 新利恵さんの物語り

地域ネットワークの
中での介護

「まちづくり×介護」を勉強したい!

福山市出身の新さんは、大学卒業後、教師として働き始める。
結婚を機に退職して、大阪へ引っ越したが、
もう一度教師として働きたいと思うようになり、
知識を深めるために大学院に行くことを決意。
都市社会学を専攻し、
コミュニティやネットワークについて研究した。

「修士論文は、子育てをテーマにした地域づくりについて
書いたんです。その時に
『誰にとっても子育てと介護は地域回帰への一助となる』
というエンディングにしていたんですよ」
この頃から、心のどこかに介護への興味が生まれていたようだ。

大学院卒業後は、福山に戻り、地元の高校で12年間
教鞭をとった。
やがて、一番身近な「介護」に向き合うことになる。

「父が要介護になって、最終的にグループホームに
入ったんです。1年前に亡くなりました」

身内が要介護になって初めて、本当の意味で介護が
「自分にとっての問題」になった、という新さん。
介護のことを真剣に考えた時、ひとつの強い想いが芽生えた。

コミュニティ、またはネットワークの中で介護をしていく
時代がくる――それを勉強したい!

そして、介護施設である「鞆の浦・さくらホーム」が
運営に携わるまちづくり塾に、
絶妙なタイミングで出会ったのである。

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地域の力がつくった
「自由徘徊地区」

衝撃を受けた平地区のネットワーク

新さんは、まちづくり塾で様々な体験をすることになる。

「一番衝撃的だったのは、平(ひら)で体験したことでした」

平は鞆町の西部にある地区で、少し奥まった場所にある。

新さんが衝撃を受けたのは、認知症で徘徊もする
お年寄りが、ここで一人暮らしをしているということ。

一人暮らしが実現しているのは、町内会長の稲葉さんや
住民がそのお年寄りをしっかりと見守り、
さくらホームの介護スタッフが
それを支えるケアをしているからだった。

この地域密着型介護を視察しに、様々な人が
平地区を訪れているそうだ。
「堀田力さんも来られたんですよ~! え?堀田さん知らない? 
ロッキード事件の検事を務めた人で、福祉の世界では
すごい人なんですよ!」

堀田さんは、最高検察庁検事を務め上げた後、
弁護士となり、「ふれあい社会」を目指すさわやか福祉財団を
立ち上げた人だ。

新さんは、視察後に堀田さんがにっこり笑って
「鞆は自由徘徊地区ですね」
と言ったのが印象的だったそうだ。

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昔からずっと
受け継いできたもの

祭りが育んだコミュニティの力

「平のダンゴ祭も、すごく印象的な経験でした」
と新さんは言う。

塾生たちは、毎年8月に平で行われる淀姫神社の例祭、
通称ダンゴ祭にも準備段階から参加したそうだ。

淀姫神社は平の鎮守社で、ダンゴ祭の起源は数百年前とも
いわれている。
平地区は、渡守神社の例祭である秋祭りの輪番町には
入っておらず、地域独自の祭りを受け継いできた。

「自分たちだけの神事なんですよ。
他の町と混ざってやっていないからこそ、
脈々と残されてきたものがあるんじゃないかと思います」

受け継がれてきたものがあるからこそ、団結力があり、
要介護となった近所の人をみんなで支えようと
思えるのかもしれない。]
平地区で日常的に行われているご近所同士の支え合い。
その中で、介護のプロフェッショナルがいかに活躍しているか。
そして、つながりの基盤となっている独自の文化――。

それらについてひとしきり語った後、新さんは言った。

「平での経験は色々な面で本当に感動!
特に、自分はネットワークを専門に勉強してますから。
今後必要となってくるネットワークの原型が平にあるのかな、
と思いました」

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鞆の浦まちづくり塾塾生 新利恵さんの物語り

最初は好奇心
それが世界を変える

自分の興味を突き詰めていく

新さんの話を聞いていると、
勉強することへの情熱がありありと感じられる。
そのエネルギー源はいったい何なのだろう?

「あくまでも自分の『興味』ですね。
自分が理解したい、今抱えている矛盾の答えを
見つけたい、と思うから勉強するんです」

世の中を変えようという使命感などはないという新さん。

でも、現場の介護士さんの講義が抜群に面白かったと
目を輝かせながら言う新さんが興味を持つのは、
やはり「世の中をより良くするもの」であるようだ。
だからこそ、このまちづくり塾を選んだのだろう。
新さんは、鞆のまちづくり塾のコンセプトは
「学んだものを持ち帰って、自分の土地に合った形で
実践してみてください」ということだと解釈しているという。

たとえば、新さんの地元は福山市多治米町。
鞆とは地理的条件や文化が異なる。
塾で学んだことを生かし、それぞれの土地に合った取り組みを
することが必要だ、と話してくれた。

新さんの知識欲・行動力は、自分の中の好奇心から
生まれているのかもしれない。
でもそれは、何らかの形で世の中に影響を及ぼしていく
のではないか――。

塾での経験を生き生きと語る新さんを見ていると、
そんなふうに思えてくる。

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鞆の浦まちづくり塾塾生 新利恵さんの物語り

感動した経験を
未来の行動力に

奇跡の出会いを糧として進んでいく

「鞆ではたくさんの奇跡の出会いを体験しました。
塾生たちもそうだし、さわやか福祉財団の堀田さんも!
こんな出会いは50代でなかなかあることじゃないですね。
人生の中で、ものすごく贅沢な時間だったと思います」

そして新さんは今、介護の国際比較をテーマに研究している
大学教授の研究室に出入りしているとのこと。
勉強への意欲はとどまることがなさそうだ。

その後――。
まちづくり塾の修了式にお邪魔した。

背筋を伸ばし、凛とした顔でスピーチをする新さん。
頼りがいのある「先生」らしく、こう語った。

「違いの分かる感性を持っている人たちが鞆に来て、
このまちづくり塾に参加したのだと思います。
そして、貴重な経験を通して、数々の感動があったのだと――。
その『感動した経験』を生かして、今度は
実際に行動を起こしていってほしいと思います!」

これは、第1期生の仲間たち、そして未来の塾生たちへの
心からのメッセージ。

そしてきっと、自分自身への熱いエールでもあったのだろう。

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鞆の浦まちづくり塾塾生 新利恵さんの物語り

  • Text : 豊原美奈
  • Photograph : Nipponia Nippon

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