茶谷仁さんの物語り
9月1日。 真夏にも負けない暑さの中、
鞆の町は「八朔の馬出し」と呼ばれる
祭りで盛り上がる。
子どもの健康を祈って、馬をかたどった山車を
いくつも町中で引き廻すこの祭りは、
全国でもここだけにしかない珍しいもの。
町総出で盛り上げてきた歴史は江戸時代から続く。
昭和の初めにこの行事は一旦姿を消したものの、
2002年、住民らの手によって約70年ぶりの復活を果たした。
それだけに、八朔の馬出しに対する彼らの思いには
特別なものがあり、以来、伝統を絶やさぬよう
大切に執り行われている。
町中が熱気に包まれる中、じりじり照りつける太陽よりも熱く、
祭りを盛り上げるおじちゃんに出会った。
茶谷仁さんの物語り
額に汗し、人一倍祭りを楽しむその姿。
うだる暑さをものともしないパワーに満ちあふれている。
山車を廻す若い衆らに喝を入れたかと思えば、
暑さの中、疲弊しそうな子どもたちをうちわで
扇いでやったりもする。
何より、冷たいビールをのどに流し込むその満足げな表情が
印象的だった。
茶谷仁さん、御年74歳。
生まれてからこれまで彼を育んだのは、鞆の浦だった。
人生ひたすら鞆。
彼こそ、正真正銘の「鞆っ子」である。
ぶっきらぼうなところもあるけれど、
誰よりも鞆思いで、奥底に優しい愛情を持っている。
この故郷への愛は、この優しさは、どこから生まれるんだろう。
茶谷仁さんの物語り
「あんたのように、鞆という町を
おもしろがって来てくれる
よその人が結構おるんです」
そう語る仁さん。
鞆の良さを外から見て興味を持ち、
足を運んでくれる人には、
精一杯のことをしてあげたいという。
実際に鞆にやって来る、見ず知らずの
学生や外国人を家に招き、海の幸を
振る舞ったりすることもあるというから驚きだ。
「そういう人がおることは、鞆のような町にとって
幸いなことなんよ。ありがたい、だから尽くしたいと思う」
鞆の町を歩いていて、こんな素敵な
おじちゃんに偶然にでも出会えたら、
鞆のこと、誰もが好きになってしまうに違いない。
茶谷仁さんの物語り
漁師の家に生まれ、決して裕福とはいえなかった少年時代。
長男だった仁さんは中学卒業後、働くという道を選んだ。
「本当は、高校行って野球がしたかったんや。
でもその夢は、弟に託したわ」
自分の分まで野球に精進した弟を応援してくれたのは、
周りにいた鞆の人たちだった。
「野球で大学進学やいう話を知って、
町の人は我がことのように応援してくれた。
一緒に夢を見てくれたし、見せてくれたんや」
どこよりも鞆が好き。鞆に恩返しをしたい。
そんな気持ちを抱かせてくれたのは、他でもない、
鞆の人たちだったのだ。
茶谷仁さんの物語り
仁さんが愛し続けたこの町も、
いいことばかりあるわけではない。 他の町にもあるような、
考えてゆかなければならない問題がある。
「このままやと、もっと過疎が進んで、
人と人とのつながりも希薄になる」
かくいう仁さんも、大切なふるさとの
今後に危機感を持っているひとりだ。
「よその人がいい町やいうてくれてるんに、
鞆の人間自身が動かんことには始まらん。
この町をどうしていきたいのか、ひとりひとりが考え、
継続的に動いていくことが、何よりやと思っとります」
愛するからこその厳しさで、
鞆のこれからを見つめるその姿に、
若い世代も続かなくてはならないと思わされる。
もっともっと真剣に、自分の住む町の
将来について考えていかないと。
茶谷仁さんの物語り
ちょっとだけ乱暴でも、ちょっとだけ面倒くさくても、
いくつになっても変わらない情熱で
引っ張ってくれるおじちゃん。
きっと一昔前の日本には、
そんな人が居る町がたくさんあった。
でも今はどうだろう。町のことや私のことを思って、
時に誉め、時に叱咤してくれるおじちゃんが
身近にいるだろうか。
少子化や過疎化。次々と迫ってくる問題は、
鞆にももちろんある。
でも、仁さんみたいな「アツいオヤジ」がいる鞆は、
彼を中心に内外から集まるたくさんのエネルギーで、
来る問題を少しでもはねのけてしまうかもしれない。
そうなったら、きっと素敵だろうな。
仁さんと別れてからも、
しばらくはそんなことを考えていた。
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