横浜国立大学大学院准教授 細田暁さんの物語り
年に何度も鞆の浦を訪れる人がいる。
横浜国立大学大学院の准教授、細田暁さんだ。
細田さんが、縁あって鞆を初めて訪れたのは、2012年4月。
以来この町に通い続け、来訪回数は40回近くになる。
この日、細田さんは鞆の浦の介護施設・さくらホームで
黙々と何かの作業をしていた。
「家具固定をしているんですよ。地震があったら家具が倒れて
くるでしょう。今、新しい固定器具を試しているところ」
細田さんは大学生達と一緒に、さくらホームや民家の家具を
固定する作業に取り組んでいるそうだ。
また、鞆小学校・鞆中学校では地元の先生達と協力して
防災関連の授業も行っているという。
鞆の町は海と山に挟まれており、古い家や狭い道が多い。
そして、住民の約半数が、高齢者である。
細田さんは初めて鞆を訪れた時から、
この町の災害に対する脆弱性を感じていたという。
「行政指定の避難場所が土砂災害危険区域にあったりする
んですよ。昭和47年に実際に土砂災害の被害があった所です。
こういうことをどう改善していこうかと授業でも話していて……」
細田さんは、鞆の浦で防災意識を高めることの大切さについて、
少し早口で語ってくれた。滑舌の良い、理知的な口調だ。
横浜国立大学大学院准教授 細田暁さんの物語り
「ちなみに防災のことをやってますけど、
私の専門はこういうことではないんですよ」
実は細田さんの専門は、土木工学。
コンクリートの耐久性や維持管理の研究を行っている。
「本業はインフラ作りで、今は東日本大震災の被災地の復興道路
を作ってます。国民を災害から守るという点ではインフラ整備も
防災も同じだから、関係なくはないんですけどね」
なるほど。でもなぜ鞆の浦で?
たまたま訪れた鞆の浦に何度も足を運び、
防災活動をするようになったのはなぜだろう?
理由を聞くと、細田先生はやはり少し早口で話し始めた。
「まず、鞆の浦の魅力には凄まじいものがある。
この町の人と人のつながりは、尋常ではありません。
そして、地域福祉に取り組んでいるさくらホームの人を
をはじめ、会うと元気になれる人達がいる。
だから、ここに来たくて来てるんです」
細田先生はよどみなく話し続ける。
「日本は少子高齢化や過疎化など様々な問題を抱えている。
すべて鞆の町が直面している問題でもあります。
そして今、志のある人達が問題を解決しようとしてる。
そういう人達と触れ合えると、力をもらえるんです。
それがここに来ている理由です」
細田さんも、日頃から世の中をより良くしたいと思いながら、
教育者として様々なことに取り組んでいる。
鞆で出会った人達に感銘を受けたのは、自然なことだったのだろう。
横浜国立大学大学院准教授 細田暁さんの物語り
自分もここで何かしたい。
土木工学の専門家として何ができるか?と考えた時に
出てきたのが「防災」というテーマ。
ちなみに、細田さんと一緒に鞆の浦を訪れた学生の一人、
赤間遼太さんは鞆の町に魅了され、自身の卒業研究のテーマに
「鞆の浦の防災意識向上と地域活性化」を選んだのだそうだ。
細田さんの話は続く。
「今、地元の学校の先生と一緒に防災授業の教材を作っているんです。
専門家と地元教師が連携するのは中々ないことで非常に先進的。
また、避難場所が土砂災害危険区域にあることについては
対策を練って、市に提案しようとしています」
同じ問題を抱えている地域は日本中にある。
細田さんは、この活動が地方における防災活動のモデルになれば
と思っているという。
「東日本大震災以降、日本の各地域で動きが出てきていて、
本当に心ある人達が頑張っているんですよ。でも地域だけ
では限界がある。大きな問題の1つは東京一極集中です。
インフラが集中し過ぎているんですよ」
話が徐々に熱をおびてきた。
まるで「細田先生」の講義を聴いているようだ。
横浜国立大学大学院准教授 細田暁さんの物語り
「これから地方にインフラを整備していかないと、
過疎化は深刻になるばかりです。行政が正しい方向を見ないと。
一極集中が開放されて、もう一回地方に意識が戻ると、
本当に地方が甦ると思います」
「ただ、大きな問題はね」
細田さんの口調がさらに強くなる。
「色々な場でまともな意見が通らなくなってきているということ。
一人ひとりが本来あるべき姿を見失って、自分勝手に
なっているのが諸悪の根源です。
そういう人は、自己閉鎖的で、傲慢。欲望や不安にとらわれている。
中身のないプロパガンダに引き寄せられて、
みんなが良いと言うんならいいんだろう、という全体主義に染まって
しまっているんです。
それが、世の中のおかしな流れを作っているんですよ」
これは、国レベルの問題だけではない。会社や地域社会の中で、
自分の考えをしっかりと持っている人がどれくらいいるだろうか?
「全体主義に流されてしまっていると、思考が停止して
ゾンビみたいになってしまう。そうなると、もう終わりです。
ただ流されるだけ」
細田さんはきっぱりと言った。
「でも、そうならないために3つの処方箋があるって言うんですよ」
横浜国立大学大学院准教授 細田暁さんの物語り
ゾンビにならないためにやっておくべき3つのこと。
これは京都大学教授の藤井聡氏が著書で書いていることだそうだ。
1つ目は「運命焦点化」。
これは、自分の「終わり」――つまり死を意識すること。
人は自分の運命を認識すると、今やらなければならないことが
見えてくる。要は自分軸が定まるということだ。
これがあれば、流されることはない。
2つ目は「独立確保」。
世の中の流れに完全に身を任せるのではなくて、時々一歩引いて
全体主義の社会を見る。そこで自分自身の考え方を確認する。
独立した視点を維持する努力をしていれば、
思考停止にはならない。
最後の3つ目は「活物同期」。
活気を持って生きている人と触れ合うこと。
偉人の生き様を本で読んだり、大自然の中に身を置いたり
するのも良い。生き生きとしているものに自分を同期
させると、滞っていた思考に流れが戻ってくる。
全体主義に染まらないための「3つの処方箋」を
聞き終わって、ハッとした。
この3つは、すべて鞆の浦で経験できることかもしれない……。
「そうですね。地域介護が進んでいて、看取りが身近にあるから
運命焦点化をしやすい。
都会とは別の時間が流れているから、自分を俯瞰して見れますね。
これが、独立確保になる。
美しい自然もあるし、志のある人に出会えるから、
活物同期もできます」
細田さんは、静かに微笑みながら言った。
横浜国立大学大学院准教授 細田暁さんの物語り
鞆の浦に来れば、自分軸が定まる。
自分を客観的に見ることができる。
そして、思考の循環が始まる。
なぜだか分からないけれど、鞆に惹かれるという人は、
知らないうちに「3つの処方箋」の内容をこの町で実践
しているのかもしれない。
細田さんの即興「講義」にはエネルギーがほとばしっていた。
今までの話から、信念と行動力を持ち合わせている人だと分かる。
そのエネルギーはいったいどこから来ているのか、と尋ねてみた。
「転機になったのは、大学で『師匠』となる先生に
出逢ったことですね。
自分はそれなりに勉強も運動も得意だったけど、
師匠に出逢って自分のしょうもないプライドは粉々に
砕かれました」
よほど素晴らしい先生なのだろう。
東京大学工学部で出会った先生だそうだ。
少しゆっくりとしたペースで、細田さんは語り始めた。
「人を育てることを大切にしている先生で、
長所を伸ばすことで誰もが世の中に貢献できるということを
教えてもらいました」
細田さんが大学教授の道を選んだのは、人材育成に
情熱を注いでいる師匠の影響もあったそうだ。
教育者・研究者として生きていくのは決して楽な道ではない。
でも自分を磨きたいという気持ちがあった。
それに、教育者として力がついてくると、色々な仕事が
できるし、人をやる気にさせたり、成長させたりできる。
師匠や先輩達を見ていて、そう感じたのだという。
横浜国立大学大学院准教授 細田暁さんの物語り
「教員になる前に、君みたいな人が僕達の仲間になってくれて
嬉しいってその師匠に言われたんですよ。
自分は、ノーベル賞をとるような研究者じゃない。
でも、人と一緒に課題に取り組んでいくのが楽しいんです。
その過程で人が育つし、その人が世の中に貢献しようという気に
なったりする」
細田さんは嬉しそうに語ってくれた。
「そういうことの楽しさに気づいたんですよ。
それが原動力なんじゃないですかね」
細田さんは、学生に対して、
「なるべくこっち側においで。日本をどんどん良くできるよ」
と言う気持ちで指導しているそうだ。
その気持ちはしっかりと学生に伝わっているようだ。
後日、細田さんの指導学生が書いた卒業論文を読む機会があった。
最後の謝辞の部分に、こんな一文を見つけた。
「卒業した後も細田先生の後を追い、
日本を元気づけるために頑張りたいと思います」
細田さんの精神を受け継ぐ若者が
これからも次々と世に羽ばたいていくのだろう。
志がある人とつながり、自分を成長させ、
人を育てることを楽しむ細田さん。
彼は鞆の浦に「全体主義の3つの処方箋」以上の何かが
あると感じているようだ。
そしてその「何か」が、細田さんの心のスイッチを押した。
だから、年に何度も鞆へと足を運ぶ。
でも、そのスイッチは誰の中にでもあるものではないだろう。
「日本を良くしたい」という真摯な想いを抱えている人
だけが持っているものなのかもしれない。
横浜国立大学大学院准教授 細田暁さんの物語り
他の物語りを読む