鮮魚衣笠 衣笠睦生さん

地元の人達のために
美味しい魚を届けたい

鞆の浦の町並みと人情が
難病と向き合う家族を癒すの物語り

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鮮魚衣笠 衣笠睦生さんの物語り

新鮮な海の恵みを
届けるお兄さん

鞆の浦に鮮魚の移動販売が登場

鞆の浦には、町の人の「たまり場」があちこちにある。
地元の人は、酒屋の店先や、神社の前、
お好み焼き屋、駄菓子屋に集まって、
世間話や情報交換をするのだ。

そんなたまり場のひとつで地域の人達と話していると、
あるおばちゃんが
「トラックで魚を売りに来てくれる
お兄ちゃんがおるんよ」
と教えてくれた。

魚屋さんが移動販売をしているんですか、と尋ねると、
「そうそう、衣笠さんとこの、むっちゃんよ」
と別のおばちゃんが言う。

「衣笠さんていう料理屋さんがあるじゃろ?
あそこは魚屋さんがしとってんお店なんよ。
魚屋さんを継いどるんが、むっちゃん」

おばちゃんが言う“料理屋さん”とは、
鞆の人が法事などで利用することが多い
「季節料理衣笠」という日本料理店。
卸専門の鮮魚店が開いたお店で、
その「鮮魚衣笠」を継いだのが
“むっちゃん”こと衣笠睦生さんだそうだ。

現在、衣笠さんは町内のホテルや旅館へ鮮魚を卸しているほか、
最近は鞆の浦の朝市である
「とも・潮待ち軽トラ市」にも参加し
ているという。
そして最近、魚の移動販売を始めたのだ。

「優しい感じのええ子よ~!話を聞きに行ってき!」
おばちゃんに背中を押された私は、
早速、衣笠さんに会いに行くことにした。

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鮮魚衣笠 衣笠睦生さんの物語り

24歳で魚屋の後継ぎになる

自然な流れで故郷へ戻った

「季節料理衣笠」の前で、
衣笠さんにお話しを聞くことができた。

「魚屋は、祖父母が始めたんですよ。
まさか自分が継ぐなんて思ってもいなかったですけど。
料理屋のほうは父親と兄貴がやってます」
と、衣笠さんはお兄さんの善人さんを紹介してくれた。

衣笠さんは名古屋の大学に進学し、
卒業後は一旦アパレル会社に就職したそうだ。
2年経った頃、魚屋を継いでいた叔父が他界。
それを機に地元へ帰り、自分が後継ぎになることを決意した。

「アパレルの会社に未練はなかったです。
長くは続けられないなと思ってたし、
帰るきっかけを探していたくらいだったんで。
帰ってきた歳ですか?24歳の時ですね」

衣笠さんにとって
故郷に戻ることは自然な流れだったようだ。
今、衣笠さんは38歳。
もう15年近く魚の卸業を生業としている。

「僕が戻ってきた頃は祖父母も健在でしたし、
昔からの従業員が1人いて、
その人に教えてもらいながら仕事を覚えました」

衣笠さんはサラッと話すが、家業とはいえこれまでとは
全く違う仕事を覚えるのは大変なことだっただろう。
しかも魚屋は朝が早い。
明け方に起床して魚市場に仕入れに行くのだ。
苦労も葛藤もあっただろうと思うが、衣笠さんの口調には
清々しい軽やかさがある。

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鮮魚衣笠 衣笠睦生さんの物語り

鮮魚の卸業から
身近な魚屋さんへ

自分らしさを大切にしながら

1年前から、衣笠さんは「とも・潮待ち軽トラ市」に
リヤカーで店を出すようになった。

軽トラ市では、
鮮魚のほかに、干物やつくだ煮、おにぎり、
牛のモツを串に刺して煮た関東煮(かんとだき)
も売っているそうだ。
弁天島花火大会などのイベントにも
衣笠さんのリヤカーは登場し、人気を集めている。

「これ、軽トラ市や
イベントで売っているおにぎりです」
衣笠さんが見せてくれたおにぎりは、
かわいいパッケージで個装されている。
パッケージのイラストは5種類で、
衣笠さんがデザインしたという。
「消しゴムハンコでイラストや文字を作ったんです」
という衣笠さん。
なかなかのこだわりの持ち主のようだ。

そういえば、身に着けているアクセサリーや髪型にも、
どこかこだわりが感じられる。
自分に似合うものを良く知っている人、という印象だ。

「そうですか?まぁでも身だしなみには気を使ってますかね。
小学生の子供が二人おるんですけど、学校でね、
『お父さん、かっこいいね!』
とか言われたら子供が嬉しいでしょ。
そしたら僕も嬉しいし。それだけですよ」

そう言って衣笠さんは笑った。

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仲間に出逢って
変化したこと

地元のためにできることを考え始める

衣笠さんは、「鞆の浦ちりめんグルメプロジェクト」を始めた
鈴木大孝さんや、軽トラ市実行委員長の小川真平さんらが
立ち上げた「福山南部の未来を創る会」の
初期メンバーの1人でもある。

「鈴木さんね、初めて会った時
『この人めちゃめちゃ熱いなぁ!』
って思いました。自分にはこの熱さはないな、と」

確かに衣笠さんは「熱い男」というよりは、
マイペースな「クール・ガイ」という感じだ。
それでも、同じ方向を向いている仲間達と
一緒に活動することが楽しいし、
やる気も湧いてくるのだと話してくれた。

「軽トラ市に参加して、変わったことだらけです。
今までの自分だったら
出逢えていないような人達と逢えてますね。
自分がこんなに色々やるような人間だとは思ってなかったですよ」

歳をとったからかなぁ、と衣笠さんは首を傾げて見せた。

「小川くんは年下なんですよね。自分より年下の子が町のために
動いとるのを見てね、まぁ自分も色々考えたんですかね」

はっきりとは口にしないが、仲間に影響を受けて
自分の気持ちが変化してきたということもあるのかもしれない。

「自分は地元のために何ができるかなぁと考えたんです。
でもまったく新しいことをするんじゃなくて、
今の仕事の延長でやれることを
少しずつやっていこうと思って」

衣笠さんがそんなことを考えていた頃、
町で唯一のスーパーマーケットが閉店し、地域の人達が
買い物に困るようになる。
そこで思いついたのが、魚の移動販売だ。

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自分ができることを
できる範囲でやる

肩の力を抜いて楽しむのがいい

衣笠さんは、最初は「移動スーパー」
のようなものをやろうかと考えていた。

「でもそれだと、地域の八百屋さんの競合相手になっちゃうんで、
まずは魚だけでやろうと思って。
やっていくうちに要望が出てくると思うんで、
そしたらそれに応えようと思ってます」

2016年10月現在、衣笠さんは、鞆町内の4カ所で朝10時から
以下の場所で移動販売を行っている。
月曜日は、南部の平地区にある「鞆の津ふれあいサロン」の前。
火曜日は、北部の鉄鋼団地の近くにある鞆中学校下の集合団地。
木曜日は、中心部の鞆中央公園。
金曜日は、沼名前神社の北にある鞆御幸市営住宅前の公園。

お願いすれば用途に合わせて魚をさばいてくれるそうだ。
また、自宅への配達も可能とのこと。
これは近くにお店がなくて困っている人にとって、
かなり嬉しいサービスだろう。

衣笠さんのやっていることは、
まさに「地域を元気にする」活動。
でも彼にはそんな気負いは全くないようだ。

「自分がやりたいからやっとるだけです。やれる範囲でね。
褒められたくてやっとるわけでもないし、
自分がやっとるからお前もやろうぜ、とかも思わないし。
そういうのとは関係なく
面白がってもらえればいいっていう感じです」

衣笠さんは、あくまで自然体。それが何だか魅力的だ。
地域のために何かをしようと思った時、
余計な力が入ってしまうことがあるかもしれない。
でも、衣笠さんは肩の力が抜けている。
気負わないからこそ、継続していけることもあるだろう。

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鞆の人による
鞆の人のための店

お客の心を掴む工夫も盛り沢山

衣笠さんにお礼を言って、
私は「たまり場」のおばちゃん達の所へ戻った。

「おかえり!むっちゃん、ええ子じゃったじゃろう?」

そう言うおばちゃんに私は笑顔でうなずく。

「移動販売の内容もな、ええんよこれが。
刺身や焼き魚のパックも置いてくれとってなぁ。
スーパーの刺身は一人暮らしの人とか、老夫婦にとっては
量が多いんじゃけど、むっちゃんは少な目にしてくれとる。
魚をさばいてくれるんも、パパッとやってくるしなぁ」

別のおばちゃんもすかさず言う。

「そうそう、そんでやっぱり一夜干しやみりん干しも
新鮮なんよ。普通に売っとる真空パックのより美味しいわ」

「ほんまよなぁ。スーパーがなくなって不自由してた
お年寄りには特にありがたいことよ。
電話で注文したりできるとこもあるけど、やっぱり
顔を合わせて話をして、
すぐに返事が返ってくるのがいいわ」

「頼めば、大人数用のお造りや焼き物もしてくれるんよ。
今度、娘一家が来たときはお願いしようかな…」

おばちゃん達の話は止めどなく続いていく。
衣笠さんは、すっかり地元の人の心を掴んでいるようだ。

衣笠さんの移動販売がやって来る所も
やがてこんな「たまり場」の一つになって、
地元の人達がそこで話に花を咲かせるようになるんだろうなぁ。

まだまだ終わりそうにないおばちゃん達の会話を聞きながら、
私はそんなことを考えていた。

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  • Text : 豊原美奈
  • Photograph : Nipponia Nippon

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