公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」
代表 大住力さんの物語り
© 2024 Nipponia Nippon™
公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」代表 大住力さんの物語り
今日は仙酔島に向かっている。
仙酔島へは、鞆の浦にある「渡船場」から船で約5分。
島内には海水浴場や国民宿舎、温泉などがあり、のんびりと
瀬戸内の景色を楽しめる場所だ。
仙酔島で、大住力さんに会うことになっている。
大住さんは福山市出身。
約20年間、東京ディズニーランドを管理・運営する
株式会社オリエンタルランドで働いてきた人だ。
多くの人が憧れる職場だろう。しかし大住さんは、
40歳の時に「自分が本当に一生かけて取り組みたい」と思う
仕事に巡りあい、退職を決意する。
そして、2010年に
公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」
を設立した。
大住さんの団体では、難病の子どもとその家族を2泊3日の
旅行に招待する「ウィッシュ・バケーション」という活動を
行っている。
ウィッシュ・バケーションで訪れる場所は、
東京ディズニーランドなどのテーマパークや
沖縄などのリゾート地。
いかにも子どもが喜びそうな場所だが、
なんと、ここ鞆の浦もウィッシュ・バケーションで家族が
訪れる場所になっているというのだ。
鞆の浦はリゾート地でもないし、テーマパークもない。
なぜ大住さんは、鞆を招待先に選んだのだろうか?
公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」代表 大住力さんの物語り
仙酔島の浜辺に、大住さんの姿を見つけた。
ウィッシュ・バケーションの参加者達と談笑している。
大住さんは大きな口を開けて笑い、低く深い声で
ゆったりと話す。
そして、子ども達が波打ち際で走りまわる姿を
愛おしそうに見つめていた。
石段に座って海を眺めながら大住さんと話した。
ウィッシュ・バケーションに招待した家族は
もう150家族以上になるそうだ。
そのうち4家族を鞆の浦に招待したのだという。
私は、気になっていたことを大住さんに質問してみた。
どうして、鞆の浦でウィッシュ・バケーションをしようと
思ったんですか?
「福山が僕の生まれ故郷っていうこともあるんですけどね。
僕らはね、まず難病の子どもに頑張ってほしいっていう
気持ちがある。
だけど、やっぱり父ちゃん母ちゃんも
大変な思いをしてるんですよ。
彼らが元気じゃないとね、治るものも治らなかったりするし」
看病に明け暮れ、難病と共に生きて行かざるを得ない家族の
苦しみを間近で見てきて、
大住さんは「父ちゃん母ちゃん」にも
元気になってもらわなければいけないと強く感じたそうだ。
そして、彼らを元気にする上で大切なものが、
ここ、鞆の浦にあるのだという。
公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」代表 大住力さんの物語り
大住さんは、ウィッシュ・バケーションの失敗談を話してくれた。
「初めの頃は、至れり尽くせりの旅を用意したんですよ。
ディズニーランドに行って、料亭で食事して…。
でも詰め込み過ぎて、母ちゃんが疲れ切ってウトウト寝てたり
したんですよ。それで、あぁ、やっちゃった!って。
自己満足になってたって思いました。それからは、もっと
ゆっくりできるようなスタイルにしたんです」
そして、家族みんなが喜ぶこととは何だろうと考えた。
それは、ただディズニーランドのようなテーマパークに行く
ことだけではないはずだ。
大住さんは浜辺を指さしていった。
「今、あそこのレジャーシートの上で母ちゃんがハンドマッサージ
をしてもらってるでしょう?それできっと他愛のない話をしてる。
でも、そういうことをめちゃめちゃ喜んでくれるんですよ。
社会の人との触れ合いが大事なんですよね」
鞆の浦は、そういうことが自然にできる町なのだと大住さんは言う。
「鞆は普通に地元の人から『こんにちは!』って言ってもらえる町。
今の社会ではあんまりないことです。それと誰もが郷愁、懐かしさを
感じる町並みですよね。人間って懐かしいなぁ~って思うと安心する
んですよ。心地よさを感じるわけです」
鞆に来れば、家族は安心感に包まれて社会の人と触れ合えること
ができる、と大住さんは考えたのだ。
公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」代表 大住力さんの物語り
大住さんは福山生まれだが、12歳の時に東京へ引っ越した。
Facebookで小学校の同級生とつながって、
36年ぶりに福山を訪れた時、鞆の浦に来る機会があり、
この町の魅力を目の当たりにした。
「それで、ウィッシュ・バケーションの行先として鞆の浦を
提案したんですけど、スタッフからは
『えっ何で?なにもないんでしょ?』って言われました」
大住さんは笑いながら言った。
「それでも、昨年初めて鞆でウィッシュ・バケーションをやらせて
いただいて、鞆の花火大会の日に、地元の人と一緒に過ごさせて
もらったんです。そしたら、ある父ちゃんが泣きながら僕の所に
ビールを持ってきてくれてね…」
大住さんが予期した通り、訪れた家族は鞆の人達との触れ合いを
楽しみ、この町ならではの安心感を味わってくれたのだ。
「ものすごく嬉しかった」と大住さんは言う。
「昨日は、鞆こども園にお邪魔したんです。園児達がお抹茶
をたててくれて。それに、招待した家族の似顔絵を描いて
くれてました。そしたら母ちゃんの1人が大泣きするんです。
後で聞いたら『私達みたいな家族を迎えてくれたことが嬉しかった』
って言うんですよ」
人が本当に喜ぶのって、当たり前のことをしてもらうってことなん
じゃないかなぁと、大住さんはつぶやくように言った。
公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」代表 大住力さんの物語り
浜辺で遊ぶ子ども達を見つめながら、大住さんは言う。
「あそこで遊んでる子はね、障がいを持ってるんですよ。
でも一緒に遊んでると、そんなこと分からないでしょ。
普通に一緒に過ごせるわけです。僕はそういうことを感じるの
が大事だと思ってます」
障がいを持つ子ども達は普通に遊んでもらうことが嬉しい。
家族は当たり前のことをしてもらえるのが嬉しい。
周りの人はシンプルなことをすればいいだけなのだ。
ウィッシュ・バケーションで家族をお世話するスタッフは
そのことを現場で実感する。
大住さんは、家族に付き添う仕事を企業の研修プログラムに
している。つまり企業が人材育成の一環として社員を
ウィッシュ・バケーションに参加させているのだ。
家族と一緒に過ごすことで、参加者が学ぶことは限りなくある。
その中の一つが
「本当にシンプルなこと・当たり前のことが、お互いを幸せにする」
ということなのだろう。
同じことを、『GIVEN~いま、ここ、にある しあわせ~』という
映画を観ることで、実感できる。
これは、大住さんが制作したドキュメンタリー映画だ。
難病の子どもを持つ3組の家族の姿を描いている。
「映画はすごく喜んでいただいています」と大住さん。
地元福山市をはじめ全国で公開され、学校の授業やイベントなどで
自主上映も行われているそうだ。
公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」代表 大住力さんの物語り
大住さんは、難病の子ども達とその家族がのんびり過ごせる
施設を鞆の浦につくりたいと思っている
「いつでも家族が来られるような拠点を鞆に置きたいんです。
そこで家族がリラックスしながら過ごせるような場所です」
息子や娘を亡くすことになった家族も再訪できる
施設にしたいと大住さんは言う。
「やっぱりね、特に母ちゃんのなかには亡くなってもその子が
いるんですよ。ずっとそこにいるんです。
だから子どもを見送った母ちゃん達にも来てもらいたい。
『あの時みんなでここへ来たねぇ』って話しながら過ごして
欲しいんです」
逝ってしまった子どもはずっと親の心の中にいる。
亡くなった子どもと静かに向き合えるような場所を
つくりたいのだそうだ。
「鞆の浦はそういうことをするのにぴったりな場所なんですよ。
その施設はうちのボランティアスタッフが運営するんじゃ
なくて、地域の方が働く場所になるのが一番いいと思います。
地元の人が迎え入れてくれて、地元のものを食べて、地元の話を
するっていうのが、いいですよね」
全国にそういう施設をつくっていきたい、と
大住さんは話してくれた。
鞆の浦を訪れる家族にとっては、町の人に笑顔で迎えられることや、
ちょっとしたおもてなし、何てことはない思いやりの言葉が
嬉しい。
それは鞆の人にとっては、当たり前のことだ。
そんな小さなことが、実は町自体の魅力になっていることを
大住さんに教えてもらった気がした。
公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」代表 大住力さんの物語り
他の物語りを読む