仙酔島に渡す渡船場前あたり、ゆっくり散策していると気になる石碑があらわれる。少し立ち止まって目をやってほしいのが、むろの木歌碑。
「吾妹子が見し鞆の浦のむろの木はとこ世にあれど見し人ぞなき」
万葉秀歌といわれるこの歌は、天平2年(730年)大伴旅人が太宰府の役人の任期を終え、都へ帰る途中、鞆の浦へ立ち寄った時の歌で、亡き妻をしのぶ気持ちを歌に乗せています。むろの木は、ヒノキ科の常緑低木の杜松(ねず)か、あるいは這杜松(はいねず)のことと言われています。変わることのない自然と、はかない人間の命の対比のあざやかさが、旅人の悲しみをきわだたせています。
大伴旅人は、奈良時代の政治家であり、「万葉集」の歌人
大伴旅人は、神話時代以来、天皇を補佐してきた軍事名族・大伴氏の氏上(うじのかみ)。
旅人は七十首前後の歌を残していていますが、その殆どは晩年の3年間(64〜67歳)に作られたそうです。鞆の浦で詠まれたこの歌もその頃のもの。
むろの木歌碑の基本情報
2017年4月20日 公開
住所 広島県福山市鞆町鞆2
お問い合わせTEL:084-928-1042(公益社団法人福山観光コンベンション協会)
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