鞆の浦のちりめん

風味豊かで味わい深い、鞆の浦のちりめん

広島県福山市鞆の浦は、昔からちりめん加工の地として有名です。
ちりめんは、いわしの稚魚しらすを釜で炊いた後、ほどよい具合に水分を飛ばし乾燥させたもの。
しらすを天日に干している様子が織物の縮緬(ちりめん)に似ていることから、ちりめんと呼ばれるようになったといわれています。
栄養豊富な瀬戸内の海で育ったしらすは、うまみがたっぷり詰まった風味豊かなちりめんになります。
美味しいしらすやちりめんを特産品として浸透させるため、地元の有志が「鞆の浦ちりめんプロジェクト実行委員会」を立ち上げ、夏限定で「鞆の浦ちりめんグルメ」を開催したり、鞆の浦漁業協同組合が新鮮な「生しらす」を商品化し販売したりするなど漁業の活性化に取り組んでいます。

どれも個性的!鞆の食フェス「鞆の浦ちりめんグルメ」

鞆の浦ちりめんプロジェクトの一環として、2017年夏に2回目を開催し、鞆の浦の町に活気を与えた「鞆の浦ちりめんグルメ」。
6月〜8月と、まるまる2ヶ月もの間、鞆の浦の飲食店10店以上が趣向を凝らしたちりめんメニューを披露しました。ピザやラーメン、おやつ系に名物・鯛めしとのコラボなど、目も舌も楽しませてくれるちりめんグルメがいっぱい!
ちりめん=鞆の浦の名産ということを、改めて知ることができるイベントとなっています。 

2017年の「鞆の浦ちりめんグルメ」参加店

(※情報は2017年のものです。イベント限定メニューのため、通常は取り扱いがありません)

瀬戸内海の潮と潮とが出会う潮待ちの港、鞆の浦

大小あわせた多くの島と狭い通路が入り組んだ瀬戸、両側を陸地に挟まれた海峡、陸に入り込んだ湾など、複雑な構造を持つ瀬戸内海には、
和歌山県と徳島県の間にある紀伊水道と、九州と四国に挟まれた豊後水道の両方から太平洋の海水が流れ込んできます。
潮の流れは平坦な場所では穏やかに、狭い島々の間を抜けるときは勢いを増し、満潮時には瀬戸内海の中央に位置する鞆の浦付近でぶつかります。
そして、海水面が最も低くなる干潮時には、鞆の浦を境に潮が東西に分かれて流れる、珍しい潮流の逆転現象が起こります。
潮の流れを航行のために利用していた時代、瀬戸内海を行き来する船は、鞆の浦で潮流が変わるのを待たなければいけませんでした。
たくさんの船が出航のタイミングを見計らって停泊していたことから、鞆の浦は「潮待ちの港」と呼ばれるようになったのです。

ちなみに鞆の浦の「鞆」とは、弓を射るときに手首に巻いた防具のこと。
半円形の沿岸の形がその「鞆」に似ていることから「鞆」と名付けられたといわれています。

瀬戸内海の漁場の中心として栄えた、鞆の港

潮と潮とがぶつかる鞆の浦には、魚が寄り付く潮目ができやすく、さまざまな種類の魚が集まってきます。
さらに潮流が速いので、魚の運動量が多く、身の引き締まった美味しい魚が捕れる好漁場として有名でした。
江戸時代、鞆は瀬戸内海の漁場の中心地となり、鞆の港で新しい漁法や漁具が次々に生み出されました。
最新の釣り具を扱う問屋が町に並び、それを買い求めに来た漁師や、魚の仲買人、商人などが集まり、鞆の港は多くの人で賑わっていたといいます。
今でも当時のまま問屋や町家が残されていて、店の中には実際に使われた漁具が展示されています。
そのほか「雁木」「常夜灯」「波止場」「船番所」「焚場」といった江戸時代の港湾施設が現存していて、鞆の港が福島藩の公駅や漁獲物の引受地として栄えていた様子がうかがえます。

潮待ちの港の停滞

江戸時代から明治時代まで、瀬戸内海の漁獲量は増え続け、鞆の港も大いに賑わいました。
ところが、魚が多く捕れたことで魚の価格が下落し、収入を補うためさらに魚を捕る量が増えるという悪循環に陥り、漁業者の収入は減少の一途をたどります。
折しも、風や潮を利用する帆船から蒸気船、鉄道へと交通手段が大きく変化し、鞆の浦は交易港としての機能を失い、次第に衰退していきました。
さらに追い打ちをかけるように、昭和63年をピークに瀬戸内海の漁獲量が減少傾向に転じ、漁業者の高齢化も加わり、漁業を営む人の数はどんどん少なくなっていきます。

新しい潮の流れを、鞆の浦から!

漁業を通じて雇用を生み出す!

漁師の高齢化と減少の問題を解決するため、鞆の浦漁業協同組合はさまざまなプロジェクトを立ち上げました。
鞆の浦に約380年伝わる伝統漁法「鯛網」や、わかめの養殖オーナー制度など、漁業に触れることを通じて、鞆に足を運んでもらうきっかけを生み出します。
観光だけではなく、鞆に住む人たちにも元気になってもらうために、漁協の隣にしらすの加工場を作り、瞬間冷凍機を設置。
新鮮なしらすを提供できるシステムを作りました。 瀬戸内の海を知り尽くした鞆の漁師がしらすの良漁場を選び、パッチ網という船曳網で漁を行います。 船上でしらすを活き〆し、30分以内に漁協に運び、真空パック加工する。
漁と加工、全てを地元の熟練の漁師たちが手がけた、正真正銘の鞆の浦産のしらすを商品化しました。
足の早いしらすは鮮度が命。 鞆の漁師たちの見事な連携プレーで、活きのいい鞆の浦産「生しらす」が作られているのです。 2017年9月には山陽道下り福山SA内のレストラン「鞆の絵」で『鞆の浦 生しらす丼』がメニューに登場しました。

地産地消でご当地グルメを生み出す!

鞆の浦漁業協同組合のしらす商品化に先駆け、 2016年には地元の魚を地元で使う「地産地消」を推進し、地魚をPRしようという流れが生まれました。
鞆の浦の近くにある走島では、ちりめん(しらす)漁が盛んで、昔から良質なしらすが水揚げされています。しらす漁の繁忙期である夏には、しらすを茹でる湯気が走島にたちこめ、その様子が夏の風物詩となっています。
ところが、せっかく良質のしらすが近くで水揚げされているのに、鞆の浦ではしらすがあまり消費されていませんでした。
鞆の浦のしらすやちりめんを、大勢の人に美味しく食べていただきたい。その思いから地元の有志が「鞆の浦ちりめんグルメプロジェクト」を立ち上げ、鞆の浦を中心とする飲食店がちりめんを使った店舗独自の創作メニューを考案、夏期限定で提供するという企画をスタートさせました。

未来へとつながる「鞆の浦ちりめんプロジェクト」

港の賑わいを未来に残す

「鞆の浦ちりめんグルメプロジェクト」を開始した2016年は11店舗が参加、2017年は12店舗が参加し、好評を博しました。
ちりめんをつかった個性あふれるメニューが次々と生まれ、鞆の浦を訪れる観光客だけではなく、地元の人たちの胃袋と心を満たしてくれたのです。
今、地産地消や6次産業化ということが言われていますが、鞆の人たちは漁師のお父さんが獲った魚をお母さんが加工して地元の人に販売するというように、昔から暮らしの中で地産地消や6次産業化を実践していました。
5月に行われる観光鯛網も、大正時代から鞆の漁師たちがずっと支えています。
つまり、鞆の漁師たちは地産地消も6次産業化も大得意!
「潮待ちの港」で生きてきた鞆の浦の人たちは、時代の波に乗る方法を熟知した達人なのです。
江戸時代からの面影を残す造営物だけではなく、港の賑わいも残し未来に伝えていくために、鞆を愛し守る人たちの活動は、昔から変わらず今も続いています。
しらすやちりめんをはじめ、地元の食材をPRし地産地消を推進することで、時代に合わせて形を変えながら、鞆の浦はいつまでも活気あふれる「潮待ちの港」であり続けられるでしょう。