大可島側の波止の付け根から内陸側に振り返ると、高台に「船番所跡」が眺められます。

江戸時代の初め、最初の鞆奉行・萩野新右衛門重富によって造られたものです。船の出入りや安全を管理・監督する設備で、今で言う港湾管理事務所にあたります。遠見番所とも呼ばれ、ここから眺望する鞆の浦の港の景色、出船・入船の情景は、さぞかし格別のものだったことでしょう。

江戸時代の見事な石垣が、しっかりと現代に残されています。

江戸時代から現代に残る、見事な石垣

現在、見られる船番所跡の建物部分は、大正年間に新築され、昭和30年頃に建て替えられたものですが、その下にあるどっしりとした石垣は江戸時代のものです。
現在の建物と合わせても、よく旧観を留めているといえますね。

◇長い年月、鞆の浦の港を見守ってきた石垣

町民に時を告げる鞆港の警備の砦

「船番所」の上手には、かつて延宝年間(1673~1680年)に鐘楼が建ち、鞆の浦の住民に時を告げる鐘が打ち鳴らされていたといいます。
この鐘は1684(貞享元)年にさらに大きな鐘へと改鋳され、緊急事態の警鐘としても大働きしたようす。かつての鞆湾の警備の要です。

◇現在の鞆湾の眺め―「船番所」が守り抜いてきた風景です

船番所の基本情報

2012年7月8日 公開

住所 広島県福山市鞆町16

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