正式名称を興楽山道山院本願寺と言い、開基は鎌倉時代の一遍上人と伝わる由緒ある時宗寺院です。元は沖見堂(沖御堂)と称して鞆港に近い西町にありました。「沖見堂」の名称から、航海の安全を保つ灯台の役割を果たしていたのではないかという説もあります。寺領も広く、境内に五坊を有する大伽藍でしたが、毛利氏に寺領の大半を没収され、その後福島正則によって行われた慶長年間の町割りで町の北の端にあたる現在地に移転しました。江戸時代を通して、朝鮮通信使の定宿でもありました。

時宗の開祖、一遍上人に想いを馳せて

備後地方には時宗の寺院は珍しく、江戸時代、福山領内の時宗寺院はいずれも鞆の浦にある原村の永海寺と、西町の本願寺の2寺だったそうです。永海寺はその後焼失して廃寺となってしまったので、現在は本願寺のみが孤塁を守っています。開基一遍上人の立像も安置されているこのお寺で、日本の宗教史に想いを馳せてみてはいかがでしょう。

◇時宗の寺紋である折敷に三文字の紋

衆生済度の観音像

境内にある小さなお堂には、石を彫って作った素朴な千手観音がまつられています。千手観音とは、千手千眼観世音菩薩の略で、それぞれに眼の付いた千本の手で、衆生をもれなく救って下さるありがたい菩薩様です。除怨、滅罪の観音様として、鞆の浦の人々の信仰を集めて来た千手千眼観世音菩薩。手を合わせれば、もちろん旅人である私たちも、もれなく救って下さるに違いありません。

◇無限の優しさを秘めた石造りの観音像

本願寺の基本情報

2013年7月19日 公開

住所 広島県福山市鞆町後地1078

料金 境内無料

その他・時宗
・本尊/阿弥陀如来
・一遍上人立像
・千手千眼観世音菩薩像

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