山中鹿之助は、毛利氏に滅ぼされた尼子十勇士の1人。
天正六(1578)年7月3日、尼子勝久、氏久兄弟は切腹し、山中鹿之助は囚われの身になりました。7月17日の護送中、高梁川と成羽川の合流点にある「阿井の渡し」で殺害され、備中松山城に在陣していた毛利輝元は、そこで首実検をする。鹿之助の首は備中松山城から鞆城へ送られ、当時の将軍・足利義昭も首実検したと伝えられています。鹿之助の首は、この首塚の近くに埋葬されたと伝えられており、現在でも静観寺では毎年7月17日に「首塚祭」の供養が行なわれている。
山中鹿之助首塚の基本情報
2017年4月20日 公開
住所 広島県福山市鞆町後地1203
お問い合わせTEL:084-928-1042(公益社団法人福山観光コンベンション協会)
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