1867(慶応3)年4月23日夜、坂本龍馬ら海援隊士が乗った「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」とが岡山県六島沖で衝突し、「いろは丸」が沈没するという事件が起きました。この『いろは丸事件』の際、鞆港を訪れた龍馬らが宿泊したのが『桝屋清右衛門宅』。当時、廻船問屋を営んでいた桝屋は土佐藩や薩摩藩、大洲藩などとも取引があったと思われ、それらの縁でいろは丸救出に関わったのです。伝説的な龍馬の隠れ部屋が、今では一般に公開されています。

朝鮮通信使にも利用された鞆の津の代表的町家

1764(宝暦14)年、11次朝鮮通信使が鞆を訪れた際に、対馬藩御船奉公輿添役や買物方三使附通詞が、この『桝屋清右衛門宅』に宿泊したと記録されています。 当時の鞆の津は海運業で隆盛を極めていて、歓迎提灯の明かりで夜でも昼のようだったといいます。

◇往時の廻船問屋の雰囲気が宿る桝屋清右衛門宅

商家の粋な見栄っ張り―前流れを長くして威容を示す

「桝屋清右衛門宅」の屋根に注目。外観の側面から見るとよくわかるのですが、屋根の前側(前流れ)を伸ばして、正面から見たときに実際よりも建物を大きく見せかけています。こういった手法は鞆では19世紀以降に流行。
商家の見栄っ張りな気風がよく現れています。

◇大棟を後方にずらし大きく見せる―商家の知恵ですね

雰囲気満点―ここが伝説の龍馬の隠れ部屋

東側納戸から2階に通じる階段を上り、天井裏の隠し空間へ。さらに奥の階段を進むと、そこには8畳ほどの畳敷きの部屋が!
これが、龍馬が隠れていたと言い伝えられている部屋だといいます。龍馬の息を感じるような雰囲気が保存されていて、説得力十分!

◇忍者屋敷のような隠れ部屋―ここに龍馬が…

龍馬の隠れ部屋・桝屋清右衛門宅の関連情報

龍馬の隠れ部屋・桝屋清右衛門宅の基本情報

2012年7月8日 公開

住所 広島県福山市鞆町鞆422

営業時間 金・土・日・月曜・祝日 9:00〜16:30

料金 大人200円 小学生以上高校生以下100円 小学生未満無料

お問い合わせTEL:084-982-3788

  • ※掲載されている内容(文字、画像、写真、記事、文章、イラスト)に関する権利は、全て弊社または著作者に帰属します。掲載されている内容の商用および営業目的での使用は禁止いたします。その他免責事項についてはこちらをご確認ください。
  • ※掲載情報の誤りや変更依頼がございましたら、お手数ですがこちらよりご連絡ください。