静観寺のすぐ近くに、ささやかに盛り上がった小さな橋があります。ほんの1、2歩で渡れてしまう、橋ともつかない、橋—「ささやき橋」。ここに、悲恋の伝説があるのです。

1500年以上も昔のこと。応神天皇の招きで、百済から王仁博士(わにはかせ)が、大陸の進んだ文化や技術を伝える渡来人の一行と共に来日してきました。さて、その一行が鞆の浦に寄港した時のことです。大和朝廷は、“接待官”として武内臣和多利(たけのうちのおみわたり)を、“官妓”として江の浦(えのうら)を派遣。この出逢いが、悲劇の始まりでした。

今も昔も、忍び難きは恋心

渡来人の接待役として派遣された和多利と江の浦でしたが、ふたりは役目を忘れるほどの恋に落ちました。当時の鞆の浦は“七島(ななしま)”と呼ばれる、橋で繋がれた中州でした。その橋のたもとで、夜ごと、ふたりは逢瀬を重ねます。
しかし、間もなく上官の知るところとなり、結果、もはや抱き合えぬようにと後ろ手に縛られて、ふたりは海に沈められてしまったのです。

◇昔の鞆は7つの島から成っていたんですね

ささやかれる、悲恋の伝説

ふたりが海中に没して、いつしか、ひとつの噂が実しやかに流れるようになりました。橋のたもとで、毎夜、和多利と江の浦の“ささやき声”が聞こえるというのです。そして、誰ともなしに、この橋を「ささやき橋」と呼ぶようになりました。
時は過ぎ、鞆の“七島”も地続きになりましたが、地元の人たちは、この悲恋を語り継ごうと、橋のあった場所に碑を建てました。それが現在の「ささやき橋」です。

◇今も昔も恋心は、変わらず…

ささやき橋の基本情報

2012年7月28日 公開

住所 広島県福山市鞆町後地1203

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