沼名前神社の参道を西進して二の鳥居で左に折れ、狭い路地を進んでいくと、さわりと小松寺の山門が現れます。

1175(安元元)年に、平清盛の長男・重盛が、静観寺(当時、天台宗)の境内に一宇のお堂を建立し、小松を植えてその古刹の支院としました。それが小松寺の起こりです。以降、頻々と歴史の舞台に登場する小松寺。平氏や足利氏との縁はとても深く、また朝鮮通信使や琉球使節などの足跡も随所に刻まれています。

境内にひっそりと佇む「琉球司楽向生碑」—これは、鞆港で、弱冠22歳の若さで病死した琉球使節団の楽師・向生(しょうせい)の供養塔です。

今はなき、「重盛手植えの松」

小松殿・平重盛がこの地に植えた松は、地を這うような巨大さでした。しかし、1954(昭和29)年の台風を受けて倒壊し、枯死してしまいます。
重盛が建立したこの小松寺は、以降、幾度も歴史の表舞台に登場。南北朝のころの「鞆合戦」では、足利尊氏・直義兄弟が陣所を構えたり、信長に追われた室町幕府最後の将軍・義昭も、このお寺で再興を期したり…。歴史に縁深いお寺さんなんです。

◇倒壊当時、樹齢約850年―台風、悔やまれます

珍しい有髪のお地蔵さん

オンカカカビサンマエソワカ…合掌して、地蔵真言を唱えましょう。
本堂前には、「有髪薬師地蔵尊」が祀られています。“有髪”のお名前通り、前髪を垂らしらお地蔵さま。“ボケ封じ”にご加護があるといいます。とても穏やかなお顔をしたお地蔵さまです。

◇髪を垂らしたお地蔵さまは、ほんとうに珍しいですよね

小松寺の基本情報

2012年7月30日 公開

住所 広島県福山市鞆町後地1227

料金 境内無料

お問い合わせTEL:084-982-3348

その他・臨済宗
・有髪薬師地蔵尊
・琉球司楽向生碑

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