小烏神社は、地元の人たちから「こがらっさん」の愛称で親しまれている神社。福島正則が鞆の浦の城下町を整備した際に、鍛冶工をこの地域に集めて鍛冶屋町を造りました。その中心にあるのが小烏神社です。創建の年代はよくわかっていませんが、室町時代の後期に、鍛冶を生業とする人たちが、氏神様として祀ったのが起源ではないかといわれています。

12月には例祭である「ふいご祭り(鉄鋼祭)」も開かれます。現在の神社の境内は、1864(元治元)年に林半助らにより整地されたものだといいます。鞆鍛冶の伝統を今に伝えるお社さんです。

小烏の森つわ者どものときの声

小烏神社は南北朝時代の古戦場としても知られています。
1349(正平4)年、足利尊氏の弟・直義の義子であった直冬は、中国(長門)探題として鞆の浦の大可島城に赴任していましたが、ちょうどその頃、高師直(こうのもろなお)と直義が対立。のち、直義が高師直によって追われたことを知った直冬は、高師直・尊氏と兵馬を交えることになります(小烏の合戦)。
その骨肉相食む合戦の結果、鞆の浦の刀剣鍛冶が発達したのです。

◇小烏の森古戦場―今はただ、静か…

例祭・ふいご祭り―そのふんわりとした縁日の雰囲気

小烏神社(境内社・天目一筒神社)では、12月に例祭である「ふいご祭り」が行われます。
“ふいご”というのは、鍛冶の際に火に風を送る送風機のこと。今では、ささやかに前夜祭で縁日が開かれるばかりですが、そのほのぼのとした雰囲気が、ほっこりと心を暖めてくれるのです。

◇鞆の浦の地元の人たちに愛される、ゆったりとした空気感

小烏神社の基本情報

2012年8月14日 公開

住所 広島県福山市鞆町後地(小烏神社)

料金 境内無料

その他[史跡]
・小烏の森古戦場
[祭神]
・小烏大神(こがらすのおおかみ)
・天目一箇神(あめのまひとつのかみ)

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