承久年間、沼隈郡山田村に建立された小坊が元とされています。当初は天台宗を奉じていましたが、1238(歴仁元)年、山南村光照寺の明光上人の導きで真宗に改宗しました。鞆の浦への移転は文明年間、山田村の領主に日蓮宗への改宗を迫られ、これを拒否した直後のことです。戦国時代末期にあった織田信長と本願寺の戦い(石山合戦)では、住職の長存が備後門徒を集め、「進者往生極楽、退者無間地獄」の旗を掲げて奮戦し、その後は東本願寺設立にも尽力しました。「松江山明圓寺」の寺号はこれらの功績により、教如上人から授けられたものです。
鞆の浦に根を張る、生きたお寺
開祖親鸞聖人存命の頃から一貫して念仏の教えを説き、権力にも膝を屈さず、地域の門徒と共に歩んで来たこのお寺は、今も人々に教えを説き、悲喜を共にし、安心の源であり続けています。鞆の浦の諸寺の中で、最大の檀家数を持つとも言われる明圓寺。お墓の数も膨大で、明治時代に活躍し、フランス人ボクサーとの異種格闘戦でも勝利した力士「鞆の平」もこのお寺に眠っているとか。
◇海を臨む墓地に、今日も南無阿弥陀仏の名号が響く
鞆の浦に二つだけ、江戸初期の梵鐘
明圓寺の梵鐘は、鞆奉行萩野新右衛門らの寄進によって1644(寛永21)年に作られました。この時代に作られた鐘は、江戸末期と第二次大戦時の二度の金属供出でほとんどが失われ、鞆の浦でも残っているのはここと、阿彌陀寺の二箇所だけです。朝鮮鐘の形式が取り入れられた江戸初期の貴重な鐘。大晦日には除夜の鐘としてつくことができるそうです。
◇腰袴式の優美な鐘楼が、境内に気品を添えて―
明圓寺の基本情報
2013年4月29日 公開
住所 広島県福山市鞆町後地1352
料金 境内無料
お問い合わせTEL:084-982-2136
その他・真宗大谷派
・本尊/阿弥陀如来
・顕如上人画像
・聖徳太子像(福山市指定重要文化財)
・梵鐘
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