鞆の浦の西端には「焚場(たでば)」が海中に現存しています。
焚場とは今でいうドック(船渠/せんきょ)のようなもの。木造船の船底に付着したフジツボなどの貝類や海藻、船虫などを焼き払い、乾燥させて船命を長らえさせます。この行為を「たでる」といい、たでる場所を「焚場」と呼んだのですね。
鞆の浦は潮の干満の差が大きく、また船鍛冶も盛んな土地柄で、焚場に適していたのです。この天然ドックの存在が鞆の浦の経済を大いに後押ししました。
石垣で補強された焚場-2012年現在は海の中
江戸中期を過ぎると、近隣の港も設備が整い、鞆港もうかうかしていられなくなりました。そこで1791(寛政3)年から波止の構築と共に、焚場の一部をより頑強に石垣で補強する工事が始まったのです。
その石垣は残念ながら、現在調査中で見ることはできません。
◇焚場のあった場所-現在は残念ながらその姿は見られません
全国でも極めて珍しい 焚場がある港湾施設を持つ鞆の浦
1827年の「河内屋文書」には、焚場の規模を100間(約180m)と記しており、また、文化文政期の記録には、大型船が年間900隻も焚場を利用していたとあります。広島県教育委員会などの調査によって、この焚場の所在地や規模などが確認されました。
◇現在も鞆港の西側に残る「焚場」という町名
焚場の基本情報
2012年7月8日 公開
住所 広島県福山市鞆町(旧鞆町と平との境)
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