1358(延文3)年、日蓮宗の高僧、大覚大僧正が鞆の浦に上陸し、法華堂を建立したのが法宣寺のはじまりです。日蓮宗きっての実力者であり、後光厳天皇の信任も厚かった大覚大僧正がこの地で説法を始めたことで、鞆の浦は一躍、西国法華布教の拠点となり、お堂も「大法華堂」と称されるようになりました。以後、多少の盛衰は経ながらも、法宣寺は三備(備前、備中、備後)日蓮宗の重要寺院でありつづけ、江戸時代には朝鮮通信使の宿所にもなっていました。

治病除災に清正公参り

友光軒の前の四つ辻から、鞆小学校前を経て法宣寺に至る道筋を、「清正公道(せいしょうこうどう)」と呼びます。これは江戸末期、法宣寺境内に加藤清正を祀るお堂があり、多くの参拝者を集めていた名残です。法華信仰の篤かった清正は、死後主に日蓮宗徒の間で治病除災の神として崇められたのです。清正公堂はなくなりましたが、今でも法宣寺には二体の清正公像があります。そのうち一体はなんと、清正公自彫りとの伝承も!

◇清正公も唱えた「南無妙法蓮華経」

この世は無常、だが―

かつて法宣寺には国の天然記念物がありました。大覚大僧正お手植えと伝わる黒松の巨木です。その枝ぶりから「天蓋マツ」とも呼ばれ、鞆の浦の人々の誇りでしたが、残念ながら、1991年夏、六百余歳で枯死しました。支柱と切株だけが残った跡地は、無常の想いを呼び起こします。ただ不思議なのは、老松が枯れて以来、今まで影が薄かった隣の紅梅が生気を得て、最近では新しい花の名所になっていることです。往く者あらば来る者あり。春の境内でそんな感慨にひたるのも「あり」かもしれません。

◇春になり雅に花をつける紅梅―、老松より生気を受け継いで

法宣寺の基本情報

2013年3月7日 公開

住所 広島県福山市鞆町後地1194-3

営業時間 8:00〜16:00

料金 境内無料

お問い合わせTEL:084-982-3179

その他・日蓮宗
・本尊/釈迦牟尼仏
・七面大明神像
・清正公大神祇坐像
・清正公大神祇の腹こもり坐像

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