鞆町には寺院が点在していて、潮待ちの港、というだけでなく寺町としての顔も持っています。そのうちのひとつ、鞆町後地に位置する善行寺。善行寺は天文年間(1532〜1554年)、1540年頃に、法善という僧侶によって上山田村(熊野町)に開基されたのがはじまりと伝えられています。その後、慶長2(1597)年、玉伝和尚が医王寺下に遷し、その子・玉真が、正保年間(1644〜1647年頃)に、現在地に再移転。江戸時代を通して、朝鮮通信使の常宿としても機能していました。また、歴史的価値のある玄奘三蔵法師坐像、阿弥陀如来画像も安置されています。
鞆の浦独特の意匠
鞆の浦の寺社建築にはいくつかの特徴的な細部の意匠が見られます。例えば医王寺本堂は、側柱状の平三斗の拳鼻(拳の形をした木鼻)に若葉の浮彫をあしらっています。これは室町時代に流行したものですが、鞆の浦では江戸時代に多用された彫刻の題材です。そうした独特の意匠は善行寺にもはっきりと表れていて、善行寺の本堂の木鼻には波文が―。港町である鞆の浦に相応しい題材と言えますね。
◇この町が古くから波風と親しんできたことがよく分かります
潮待ちの港、通信使たちの常宿
朝鮮通信使の来航ルートは決まっていて、釜山から船に乗り玄界灘を越え、赤間関から瀬戸内海に入り、大坂に上陸して陸路で江戸へ向かうというもの。途中で瀬戸内海の港町に寄るのが慣例で、その港町のひとつだった鞆の浦において通信使が寄宿したのが善行寺でした。陸路や空路ではなく、船を使って鞆の浦、善行寺を訪ね、当時の通信使たちの気分を味わってみるのも乙かもしれませんね。
◇日本と朝鮮を繋いだ歴史の匂い―
善行寺の基本情報
2013年6月15日 公開
住所 広島県福山市鞆町後地1087
料金 境内無料
お問い合わせTEL:084-982-2555
その他・真宗
・玄奘三蔵法師坐像
・阿弥陀如来画像
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