弁天島は鞆の浦にある小さな無人島です。1617(元和3)年に鞆の津を訪れた朝鮮通信使の日記にも「明秀奇絶」と記され、その景観が絶賛されています。朱塗りの弁天堂(福寿堂)が建っていることから弁天島と呼ばれていますが、正式な名前は百貫島といいます。その弁天堂は、1644(正保元)年に、鞆奉行・荻野新右衛門によって再建され、その美観を今日に残しています。また広島県重要文化財の「弁天島塔婆」もあり、文化的にも価値の高いスポットです。

百貫島伝説と弁天島塔婆

荻野新右衛門が記した『鞆記』に紹介されている伝説―ある航海者が海中に家宝の太刀を落とし、それを取ってくるようにと浦人に頼みます。そして、ある勇敢な若者が名乗りを上げましたが、鰐(フカ=サメ)の牙で落命。銭百貫でその亡骸を弔ったといいます。

◇その時建てられた十一重(当時)の石塔が、現在の弁天島塔婆

5月・初夏の訪れを告げる一足早い花火大会

江戸時代から、旧暦4月14日には海の安全を祈願して弁天祭が行われていました。その当時から「煙火祭」と呼ばれる瀬戸内で最も早い時期に行われる花火大会でにぎわったとのこと。現在でも、季節を先駆ける「弁天島花火大会」が鞆の夜空を夏色に彩ります。

◇初夏の風物詩―弁天島から打ちあがる色鮮やかな夜空の華

弁天島の基本情報

2012年7月9日 公開

住所 広島県福山市鞆町弁天島

その他・弁天島塔婆(広島県重要文化財)

  • ※掲載されている内容(文字、画像、写真、記事、文章、イラスト)に関する権利は、全て弊社または著作者に帰属します。掲載されている内容の商用および営業目的での使用は禁止いたします。その他免責事項についてはこちらをご確認ください。
  • ※掲載情報の誤りや変更依頼がございましたら、お手数ですがこちらよりご連絡ください。